世界は虚言で出来ている
「くたばれインターネット」
ジャレット・コペック 浅倉卓弥(訳)
この小説(小説なのか?)は2013年のアメリカ(主にサンフランシスコ)を舞台にしており、2016年に発表され、日本では2019年に初版発行されている。私が購入したのは2019年だが、今の今まで読んでおらず積読本の中の一冊だった。小説の舞台となった年から10年近く経っていて、いまやXとなったSNSはツイッターと書かれているものの、状況は全く変わっていない。
主人公はアデレーンというアラフォーの女子で、知人と作ったコミックがそこそこ当たって映画にもなり、まあまあ有名になったところで講演に呼ばれ、そこで語ったことが炎上した。そこで自衛のためにツイッターを始めたが、そこでも大変な罪を犯してしまう。
彼女の罪とは、本書によるとこうだ。
1.女性を嫌う文化圏において女性であった
2.そのうえちょっとだけ有名になってしまった
3.そしてあまり一般的とは言えない意見を表明してしまった
言ってはいけない言葉を使ってしまったことが問題になるが、現実の日本でもそのようなことは日常で起こっている。
この小説(小説なのか?)、読み始めると話がなかなかつかめない。文中のダイアログや、センテンスに出てくる固有名詞や出来事などの説明が突然割り込んでくる。これがことごとく辛辣なのだ。これによるとウォルト・ディズニーは反ユダヤ主義者で人種差別主義者だし、トマス・ジェファーソン大統領は民主主義を唱えながら奴隷を所有し、しかも奴隷をレイプまでしているし、スター・ウォーズは徹頭徹尾クソみたいな作品だし、大学というのは殺人兵器を作る人材を育てるところだし…という具合だ。情報量がやたら多く、どれも皮肉を超えるこき下ろしになっている。マーク・ザッカーバーグやシェリル・サンドバーグ、ジェフ・ベゾスの著作を読んで信奉している人が読めば、穏やかではいられないだろうな。
このやたらといろいろな説明に飛ばされたり、時間が行ったり来たりし、また本筋とは違う登場人物の話が始まったりする感覚は、ネットサーフィンを模している。いうなれば、ハイパーリンクを辿っていろいろなサイトを渡り歩き、また元のサイトに戻る、そんな感じだ。一体何を読まされているのか、と感じるところも多々あるが、これがネットの体験そのものであり、ネット社会と言われるように、この感覚が普通になっていくのだといたら、この小説はある意味如実に現代を表現しているのかもしれない。
ふざけていると言っていい。この本の中で「このひどい小説」という文言が出てくるが、これはこの本自体をこの本の中で指している。虚実が滅茶苦茶なのである。
登場人物は虚構だが、とはいえ取り巻く世界は現実を表しているので、読み進めるといかにこの世が酷いことになっているかがわかってくる。ツイッター(現X)は「十代の子供たちが自分も流行りの著名人と繋がれるのだと錯覚しながら、誰かを自殺に追い込んでしまうまで罵り合うための装置」だし、インスタグラムは「投稿者がお金を費やしたものか、お金を費やしたいと思っている物の写真をアップする「エッチ抜きの乱交パーティー」みたいなものだ」。そしてそれらの虚言の一つ一つが広告収入を生み出し、X(旧ツイッター)なりインスタグラムなりの主催者に、莫大な収入をもたらしている。世界の人々がマーク・ザッカーバーグなりイーロン・マスクなりにもうけていただくためにせっせとスマホやパソコンに向かっている。これ、「マトリクス」で描いていた世界のことじゃないの?
終章の近くで主人公アデレーンの友人(多分、作者の分身)が、サンフランシスコへの呪詛を大演説する場面が出てくる。これが作者が本当に言いたかったことだろう。
今やインターネットは広告の楽園のようなもの。世界中の虚言を集め、虚言を読む人が多ければ多いほど、広告が集まる。虚言が金を産み、虚言が世界を構築している。
そして最後は、「時計仕掛けのオレンジ」のような、暴力的なディストピアの感じをほのめかす。でも、言葉の暴力がはびこる現実もそんなものだ。
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