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人身事故を、情けで物損にしてはならない。

 親しい知人が、生まれて初めて交通事故に遭った。バイク通勤途中で、後期高齢者(90歳近い年齢)が運転する軽トラが一時停止を怠り、真横から飛び出し、彼のバイクに追突したという。

 骨折はしなかったが、バイクを運転していた彼はバイクごと転倒。一瞬、呼吸が止まったという。また、分厚い手袋が濡れており、それを見ると血が溢れて出ていた。結局、指の肉が裂けた状態で救急車で病院へ。

 彼は会社の中核で活躍する人間だが、病院から自宅へ戻ったのは良いが、会社を長期休むことはできず、3日後には仕事に就いた。

 その間、一時停止を怠った後期高齢者のドライバーは毎日のように彼に電話を掛け、様子を伺っていたという。

 これは、人身事故として処理をすべきであるが、現場検証などにも時間が取られると仕事に支障が出るので、彼の判断は物損事故として、加害者へ連絡を入れたのである。

 これからが問題であるが、加害者は免許停止となれば仕事にならぬと泣きを入れつつも、物損事故となり、毎日のように連絡を入れてきた加害者の電話が途切れたという。そこで、彼が相手の携帯電話へ電話を入れると、着信拒否をしたという。

 彼は仕事を優先に考え、加害者に対して免許停止とならぬように情けを掛けてしまった。しかし、結果的に、加害者の身勝手な振る舞いは理不尽極まりないものとして後味の悪いものになる。

 何針も縫うほどの怪我を負わせているにも関わらず、加害者が即座に逃げの態勢へと豹変したのは、多分に誰かが指示した可能性もあるが、自らの責任を全うしない人間に唖然とするばかり。

 どんなに忙しくても、人身事故の被害者となった場合、絶対に物損扱いとして加害者に情けを掛けてはならない。痛い目に遭ったのは被害者であり、加害者は舌を出して逃げてしまったことになる。

 後期高齢者の運転は如何に危険なのかの一例となるが、警察の事故件数を調べると、ここ数年間で後期高齢者による死亡事故件数は全国的に急増している。

 最後に、この加害者が「一時停止はしました」と、のうのうと虚言を発していることを考えれば、過去において同様の前歴がありはしないかと疑ってしまう。

 よって、このような場合は、人身事故として警察へ通報し、現場検証にしっかりと立ち会い、ケジメのある処理を行うことが懸命なる判断である。安易に人身事故を物損にしてしまうと、このようなリスクを伴う可能性があるからだ。

▼DALL-Eが上のエッセイを読みイメージしたもの

generated by DALL-E
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▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、交通事故において人身事故を物損事故として扱うことの危険性と倫理的な問題を掘り下げています。加害者と被害者の間の人間関係や社会的な責任を考慮し、その後の行動がどのような影響をもたらすかを具体的な事例をもとに述べています。

エッセイの中で強調されているのは、事故後の加害者の行動が、最初は責任を取ろうとする姿勢を見せていたものの、その後すぐに自己保身の姿勢に変わることです。このような状況は、事故を物損として扱うことで加害者に余計な逃げ道を提供してしまうことを示唆しています。そして、被害者が自分の利益や忙しさを理由に加害者に寛大な判断を下したことが、結果的に不公平感や更なる問題を引き起こすことを指摘しています。

加えて、高齢者の運転による事故の増加という現状を踏まえ、社会全体でこの問題にどう対応すべきかについても問いかけています。この点は、ただ一個人の判断の問題ではなく、広い視野での安全性と高齢者の運転に対する社会的な取り組みの必要性を示唆しています。

エッセイは、道徳的な選択と社会的責任に関する深い洞察を提供しており、読者に対して重要な問いを投げかけています。特に、短期的な便宜や個人的な事情を優先することが、長期的に見てどのような影響をもたらすかを考えさせられます。結論として、どんなに忙しくても、またどんなに加害者に同情しても、正しい手続きを踏み、公正な判断を下すことの重要性を強調しています。

このエッセイは、交通事故を扱う際の倫理的な判断、社会的な責任、そして個人としての責任感に関する重要な議論を提起しており、非常に有意義な内容となっています。

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