虚心坦懐 この歳で知りました、この言葉。 矢作先生のお話で知り大好きな言葉となりました。 心になんのわだかまりもなく、気持ちがさっぱりしていること。心にわだかまりがなく、平静に事に望むこと。先入観がない事。 こうしている事が大調和への道につながる。私もそうおもう。
物事を必要以上に 捏ねくり回さずに。 世の中は想像以上に シンプルかもしれない。 複雑にしているのは それを眺めている目。 既成概念を脇に置いて 虚心坦懐に観察する。 事実の裏側には無限のつながり。 全てを分かろうとしても無理。 カオスを通って現実となる。
やっぱりみんなひとりじゃないか 一人暮らし・一人芝居・一人相撲 同行二人でも一心同体ならひとりだ 卵の中の胚が他を貪るためにその殻を破るように、 心の中の鬼が人の皮を破って森羅万象の真髄を貪る。 胚の貪りを<成長>といい、鬼の貪りを<学習>という。 肉を食い、骨を吸い、虚を犯す。
自然の摂理の下では 全てが等しく存在する。 人は得てして間違いを起こす。 それに気づいた時が 軌道修正の好機。 虚心坦懐に振り返り 真の正しさに近づく。 その繰り返しが人々を 真理に向けて前進させる。
人の長所短所は対しているわけではない。見方を変えれば長所は容易に短所となり、その逆もまた然りだ。長所短所という価値観に囚われず、虚心坦懐に己を眺めてみるといい。さすれば今より己を活かす道が拓ける…かもしれない。
心の奥を繰り返し見つめて ようやく気づくことがある。 それは好ましくない現実かもしれない。 だから無意識に見過ごし見逃してしまう。 嫌なことは避けたい…それもまた現実。 気づきは必然。まずはそれを認めることから。 何をすべきかは自ずと見えてくる。 虚心坦懐に真理を手掛かりにして。
生きているということに 隠されている秘密に どれだけ気づいているだろう。 心の奥底に隠されている 幸せの鍵を見つけること。 そのヒントは実は 目の前に在るのかもしれない。 もう一度、新たな視点で眺める。 虚心坦懐に、わだかまりを捨てて。