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【ことば】覚えられない四字漢語「虚心坦懐」

先日、新聞で見かけた見出し「虚心坦懐に見る」。SDGsの記事らしいが、まったく中身が想像できない。恥ずかしながら、この四字漢語の意味を知らない。というか、今までにも何度かこの語に出会って、辞書を調べた記憶があるか、残念ながら全く覚えられず。もちろん脳の劣えもあるが、この漢字と意味が結びつきにくいせいもある気がする。

虚心坦懐 心になんのわだかまりもなく、気持がさっぱりしていること。また、そのさま。(『精選版 日本国語大辞典』)

「虚」のつく語を考えると「虚言癖」「虚脱状態」「虚無」「虚構」「空虚」「虚栄心」「虚弱児」…とプラスの意味を持つ語がない。「心にこだわりがなく、さっぱり」というステキな意味とは結びつきにくい。

 類義語を調べると「無心」「無私」「滅私」などが出てくるから、「虚」の持つ「からっぽ、無い」という意味から、「さっぱり感」を表現している語なのだろう。決して「心が無い」といった、イジワルな感じではないのだ。

同じように何度も辞書で引く語がある。「博覧強記」。「強」に引っ張られて、勢力争いのようなものを思い浮かべてしまうのだが、

博覧強記 書物をひろく読み、見聞を深めたりなどして豊かな知識を持っていること。(『精選版 日本国語大辞典』)

とても平和な語。調べるたびに立花隆さんや荒俣宏さんの顔が思い浮かぶのだが、やはり定着しない。これも「学」「本」「読」のような字が一つでも入っていたら、覚えられるのに…と思ったりするが。

20代の頃、新聞の朝刊コラムに使われている語が若者に理解されず、意味が伝わっていないのでないかという調査リポートを書いた。「手弁当」「太公望」「手練手管」「団塊の世代」・・・などなど。

あの頃は若者の新聞離れが憂慮されていた。今はテレビのニュースも見られていない。代わりに現れたネットニュースではキャッチーな見出し、さらりと読めることが求められるから、少し難しい漢語や故事成語などは好まれない。昔よりさらに上のような語は理解されていない気がする。

自分自身も歳を取れば、難しいことばも使いこなし、少しは教養人になるのだろうと想像していたが、いまや増殖するカタカナ語についていくのが精一杯で、漢語や和語なおざなりだ。
30年前、「手弁当」は「お母さんの手作り弁当」と答えていた若者もいまや還暦近い。
さて、どうなっているのだろう。聞いてみたい。

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