一人ひとりの輝きや命が失われていくのはもう沢山だ。 過去の自分より今の自分を創造する。 何もしていないわけでは無い 存在しているだけで偉いんだ。 何故、存在してはいけないのか? 何かしていなければ失格なのか? 私たちは息をし続ける 五感を使いこなせ そこから直感は産まれる
身勝手さ 抑えられても いなくても 心のどこか 自己中心に 取り返し つかない事を 繰り返し 笑えるのなら 光が見える 諦めて 立ち止まるなら まだ良いが 相手の心 先に進まず 結局は 人は我さえ 良ければと 感じる事が 増えて来ている 生きる事 やめる勇気は 無いくせに
幸の定義は人それぞれ。
僕は生きていく為に日本人と関係を断つ事と愛する事、2つの対比が頭の中で行ったり来たりする。それはとても暴力的だ、日本人に受け入れられる物ではない。でも僕が日本人と関係してきてずっと感じている事だ。一つの世界に人殺しと命を守る事がコインの表と裏みたいに存在して理屈では説明できない。
人の目を気にしてしまう人はある意味幸せな環境なんじゃないかな?だってさ、気にして何もしないわけでしょ?なにもしなくても「生きれてしまう」って事だから。 自分が「生きる事」に必死になったら周りの目なんか気にならないもん。それがやっぱり幸せな事。 幸せな環境と幸せと感じるのは違う。
現代は良い物や便利な物が増えすぎて生きる目的を高望みしすぎる。昔の人は「生きる事が目的」で必死に生きていたんだと思う。だから生きてるだけで本当はいいのに何かしなきゃいけないって思っちゃうんだろうね。生きてるだけで生きる目的は達成されてるんだよ。