【ぼやき】生きる事、死ぬ事
肩透かし台風が通り過ぎたと思えば台風並のゲリラ豪雨に襲われる関東。
まぁこれを書いている時は新しい台風情報に右往左往している最中なんですけど。
異常気象に米不足、世間が少しずつ変わる日常に不満を持ちながらも当たり前の様に時間は過ぎていく。
そんなクソ暑い、仕事中の車内からこんなぼやきを書いている。
どうも
山月 春舞
です。
さて、見出しから何を書いているかと思えばちょっと感傷的になっているというべきなのだろうか、なんというのだろうか。
去年から今年にかけて本当に人生について考えさせられている。
それまでは、どうせこの人生はもはや終わってると思っていたので死について漠然としてか考えてなかった。
だけど去年に肉親を今年に入って自分に色んな影響を与えてくれた人達が亡くなっていくのを見て少しだけその事に考えてしまう。
亡くなった人達は、有名な方々で名前をあげればある程度の人達は知っている方々だ。
1人は、憧れとも目標とも取れる存在で、1人は自分の狭い世界を広げるキッカケになった作品の主人公を演じていた方で。
どちらの訃報も余りにも唐突だった。
最初は、驚きで何も言えなかったが時間が経てば経つ程にその感覚が浸透してきた。
そして、彼等の死を捉える度に生にある自分が何をしているのかと、少しだけ苛立ち、無気力に襲われる時がある。
きっと何処かでバランスを崩しているだろう。
だけど、流れというのは無常でゆっくりと彼等のいない世界が進んでいく。
そんな進んでいく世界の中で自分だけついていけず、外からそれを眺めながら亡くした者達の背中を眺める。
色褪せ、ゆっくりとその背中は新しく生まれていく情報の中へと埋もれ見つけられなくなるのかもしれない。
だけど、彼等の作ったモノは消える事はなく、時折誰かの記憶の中にそっと現れては消えていくのかもしれない。
そんな世界の中で自分は何が出来るのか何を残せるのか、そんな事を考えながら、きっと自分は何も残せないのだろうっと考えては少しだけ情けなく思う。
正直、この文章ですら、何を書きたいのかわからないまま、書き殴っては消して、そして書き殴るの繰り返しで自分が何を言いたいのかわかっていない。
シンプルに言えば悲しいのだ、とにかく悲しいのだ。
自分の世界を作ってくれた、導いてくれた、変えてくれた、そんな人達の死というのがとてつもなく
悲しいのだ。
そして、生きている自分が何も出来てないのが何よりも歯痒いのだ。
もっと、何かしたい、でも何が出来るのか、何を残せるのかわからない。
結果、何も出来ずに今ある事に追われているだけの自分を情けなく感じるのだ。
だが、今行動しても全てが中途半端になるのが嫌でもわかるからこそ、歩みを止めている。
もう少しだけ燻って、きっとまた藻掻くのだろう。
きっと彼等の背中にもその世界にも触れる事は無いのだろう。
それでもいい、所詮そこまでの人間だとわかっている。
だけど、私はきっと何処までも藻掻くのだろう。
届かない、その世界に踏み込むことも無い。
それでも、続けるのか、きっとそれは私が創るという事が好きだからだ。
誰かの心に残らなくても、描く事が楽しくて好きなのだ。
それがきっと私の中で生きるという事なのかもしれない。