お別れの言葉は「歯だけは大切にしろ」
今日、馴染みのカフェの常連客
が亡くなったと訃報を聞いた
数年前までは、毎日通っていた
馴染みのカフェ
そこで知り合った
常連客の一人
その常連客の方に
私の横顔を撮られた
いつ撮ったのか・・・
いつの間に撮ったのか・・・
私は、不快感を覚え
すぐ消してください!
と喧嘩までは行かないけど
そのうち話さえもしなくなった
常連客
いつもその常連客にからかわれていた
そのからかいが
可愛がられていた事を知っていて
また嫌味言ってるな!
このやろう
と笑いあっていた時期も
あった
でも、あの写真をとられてから
どちらとも一歩も引けず
引かず頑なに
話さなくなった
その常連客が今日亡くなった
いつか、謝ろう
(私は、悪くないのに?)
いつか、話せる時が来る
(話しかけて来てよ)
いつか、いつか、いつか、いつか、いつか
それは来なかった
・・・・・・・・・・・・・
ふと、
思い出す事がある
それは、
看護師になりたての頃
消化器外科と
整形外科混合病棟のある
総合病院で私は、
勤務していた時の事
毎日必死だった
申し送りを聞き
ノートに書き写し
時間単位でやる事をメモし
チェク欄を作る 時間物
時間物に追われるがあまり
患者さんとコミュニケーション
を取る事さえ忘れる日々
あの時間の無い中
先輩は、
患者さんと会話をし
コミュニケーションを取り
全身状態の把握
患者さんの心情まで
把握していた
どうしてそんな事ができるのか?
最初は、全然わからなかった
でも、できることに気づいたのは
数年経ってからだ
毎日、手術患者さんがいて
入院患者さんがいて
入院となったら、アナムを取る
アナムとはアナムネーゼ
アナムネーゼとは
看護に必要な情報を
聴取することで事細かに
・今回入院に至った経緯を教えてください
・家族は何人暮らしですか?
ご家族の中に
・癌や大きい病気になった方はいますか?
・今までかかった病気はなんですか?
・手術は、したことありますか?
・アレルギーは有りますか?
・今までにショックで倒れたこととか有りますか?
・食べれない物はありますか?
・お小水は1日何回行ってますか?
・お便は毎日出ますか?
・夜は何時に寝ていますか?
・朝は何時に起きていますか?
・今現在、
病院で治療している病気はありますか?
・毎日飲んでいる薬はありますか?
とにかく事細かにその人の内情まで
聞いていくようにアナムを取る
最後に病院での過ごし方
病院でのルール
トイレや洗面所、お風呂場などの
フロワーの案内図の説明をする
これを短時間でやる
取ったアナムを基にし
医師の治療計画を見て
看護計画を立てる
すごく時間がかかる
とにかく時間が足りない
その合間に
オペ出し準備
(手術患者を手術室へ入れるまでの
準備)
オペ患の受け入れ準備
(手術患者が帰って来る前に
受け入れ態勢を作る準備)
回診の準備をし
医師と一緒に回診に回る
回診もガーゼ交換と言って
傷口の消毒
ガーゼがどれくらい汚れているか
浸出液のチェック
術後何日目を医師に伝え
ナート部位のチェック
(ナートとは縫ってあるところ)
ドレーンが入っているところの
チェック
(ドレーンとは術後の
廃液が出やすくする
チューブのこと)
あまりにも廃液が多い術後患者さんは
ドレーンバックがついている
点滴のチューブやら
酸素吸入チューブやら
ドレーンチューブやら
ハルンバックチューブやら
ハルンバックとは
(尿道に直接チューブを入れて
動けなくなった時に
入れるチューブからお小水が
たまるバックの事)
オペ後の挿管チューブ
自力呼吸が無理な時につける
チューブが呼吸器とつながっている
スパゲッティー症候群
とも言うのでしょうね
の管理
上記は消化器外科患者さんの
管理
整形外科は
足を折った方のギブス管理
腰椎圧迫骨折の腰椎ギブス、
コルセット、ベルト
牽引療法の管理
創外固定器具の管理
整形は、比較的
巻いてしまえば
(幹部が固定されてしまえば)
管理は、それほど難しく無いと
ほったらかしていた事も
あったりなかったり
食事管理
清拭(身体を拭いてあげる事)
洗髪
看護計画からの評価
リーダー業務
指示受け(翌日の指示を前日に確認することを
主に説明する。また、指示受け後、
実施に必要な物品・書類
・患者の説明などの準備を行うこと
を含めている。)
とにかく、いろんな人がいたし
いろんな処置を学ばせてもらった
所でした
まだまだ書き足りないくらい
いっぱい出て来る
をやっていた数十年前
今考えると、若かったから
出来たのかも
そんな若い頃のまだまだ
未熟な時に
警察幹部の方が個室に入院してきた
すい臓がんでした
入院してきた時は、
はつらつとした
辣腕でもなく、凛とした
真っすぐな大きな器を持った方
大きな優しさがあるのですが
それを、見せない
凛とした警官幹部長でした
お早うございます
と言う声かけに
お早う
と返してくれる笑顔
私も笑顔になると
「良いなぁ
その白い歯
大事にしなさい」
と言われた。
「僕はもう
歯が、丈夫じゃ無いから
羨ましい」
「親から貰った歯なんだ
これからも、死ぬまで
歯だけは大事にしなさい」
「入れ歯になったら
ご飯も美味しく無い
何より笑った時の白い歯は
いいな!」
今でもこんな会話を
思い出す
多分ニュアンス的に
なってるかもしれない
膵臓手術の術式は忘れましたが
手術は、成功し
今後は、血糖コントロールを
しなければならない
今後退院した後も
注射指導や、低血糖症状の
コントロール説明やらなんやら
をし退院を無事にした
それから2週間もせず
警官幹部長が入院してきた
どうも血糖コントロールが
うまく出来ず
倒れてしまったとか
でも、警官幹部長は
とにかく仕事に戻りたい
一心だった
何か大事な仕事を
していたのでしょうね
私には、その重さが
どんなにか重いものだったのか
分かり知れない。。。
病棟で、簡単な処置をし
また職場へ戻る
を何度も繰り返した日々が
続きました
警官幹部長は
医師から、余命を宣告される
残り持って1ヶ月
娘の結婚式が迫っていると言う
警官幹部長
何かドラマの様だと思った私
その頃、あの忙しい毎日の中で
病棟医師、看護師が一丸
となって警官幹部長の為に
突き動かされていた気がします。
娘さんの結婚式は、
いつだったか?
今思い出せないのですが
でも、警官幹部長が
余命宣告されてから
明日死んでもおかしく無いなか
娘さんの結婚式に
出させてあげたい!これが、
病棟医師と看護師の目標になる
入院中、
警官幹部長は、電話、電話、電話
で仕事をしていた
「娘さんの結婚式に出るんですよね
休んでください」
なんて生意気な事を言った気がする
そうすると
「歯が綺麗でいいな!」
と言われ、照れる私
警官幹部長は
死と向き合っているはず
ふとあの表情を見たら
死なないんじゃ無いか?
と思ってしまうほど元気?
でも、病状は悪化していた
何が警官幹部長を
元気にしていたのか?
仕事と、娘の結婚式という目標を
やり遂げると言う事?
だったのかも
傷の痛み、身体の痛みは
想像を絶する痛みだったと思う
それを見せなかった警官幹部長
そして、無事娘さんの
結婚式当日
病棟の看護師先輩が付き添って
出席する事が出来た警官幹部長
娘の結婚式に出席できて良かった!
と言う安堵感
とても素敵だったらしい
そして、三日後か五日後か・・
警官幹部長は、衰弱していった
ご家族の方もまだ亡くならないと
思うほど元気だった
なので付き添いもついていなかった
今思うと警官幹部長は
家族に辛い顔を
見せたくなかったのだなぁと思います
早朝の事
もうそろそろ
親族の方を読んだ方がいい
と医師から指示があった
先輩看護師から
家族の方が来る前に
「お世話になったんだから
にこにちちゃん
挨拶してきなよ」
と言われた
鎮静剤が使われ意識が
朦朧としていく警官幹部長
私は
「行っていいんですか!」
と聞いてしまった。
挨拶していいのか?困惑していた
先輩は、
涙だでいっぱいになった目で、
「ほら!行ってきなよ」
と私の背中を押す
病室に入って
泣いてしまった
泣くだけだった
意識が朦朧としていく中
警官幹部長は言う
「歯だけは大切にしろ」
病棟で過ごしてきた
思い出が走馬灯様にの巡る
これから死んでしまうのに
何故こんなにも
人の事を考えられるのか
意識が遠のいて行っているのに
何故、こんなにも。。。。。。。。
泣いてしまった
何分経っただろう
きっと多分数十秒だろう
家族が病室に
入ってきた
私は、我に帰り
声にならない声で
「失礼しました
ありがとうございました」
部屋を出て行ったその後
家族の泣き叫ぶ声が
聴こえた
最後のお別れを
した家族
次の日警官幹部長は亡くなりました
延命処置はしないことになっていた
思い出したら泣けた
病棟での思い出で
死に際に話せるのは、看護師でさえ
無理だったりする
でも、あの気丈な警官幹部長
だから成し得た事の様にも
思えます
それからも、病棟で見送った
患者さんは数知れず
泣けて泣けて仕方なかったのは
警官幹部長だけ
他にも余命宣告された患者さんが
娘の結婚式の為にと
色々と看護師一同考えてプランを
練った事は、まだまだあります
このような貴重な経験をさせて頂いて
本当に有難く感謝しております。
いつ死ぬかわからない
いつか、は来ない
やっぱり告げないと後悔するね
今日は死について感慨深く
なった日でした。
………………
自己紹介
noteがスキ❤️になってきた。より
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