息子は数日かけて書いていた。私は、弔問のみなさんへの対応や部屋の掃除などの日常の仕事で精一杯で書く精神的な余裕も時間も持てなかった。とうとう、最後の夜に、彼女の遺影が飾られた会場の椅子に一人座り、彼女への手紙、絶対に読まれることのないラブレターを書いた。
葬儀屋さんからは何度もお棺に入れるものを選んでください。つまり、彼女が愛用したものなどを選べと言われていた。一緒に燃やすのだ。全然そんな気になれなかった。息子も同じ気持ちだったみたいで、便箋と封筒を買ってきて、お母さんへの最後の手紙を書いて入れようと提案してくれた。
やっぱり、宮沢賢治の最後の手紙の「しっかりと生きて」なんだよなぁって思う。 しっかり感じて、目をかっぴらいて生きていく。