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最後の手紙

 三連休はお墓参りにも行く予定だったのですが、台風が近づいて来ているので延期。何もすることがなくなった午前中は読書でもしようかと思っていたところ、母親があるものを持ってきました。お盆前に部屋の掃除をしていたら見つけたものがこちらです。


左から封筒。中、祖父の叔父のコメント。右、本文。


 これは日露戦争に行った、私の曾祖父ひいじいちゃんの叔父おじにあたる人(以下、Sさん)の手紙。手紙自体は原本ではなく、私の祖父が親戚から借りたものを自筆で複写したものです。それを読んだ祖父の叔父さん(以下、Fさん)のコメントも一緒に入っていました(レトロな封筒に直書き)。
 日露戦争だから、今から百年以上前の話。この手紙は、Sさんが青森の基地から戦地に赴く際、電車で実家の近くを通るので、途中の停車駅で面会をしたいと、自分の姉夫婦に宛てて書いたものでした。出征先で戦死されたSさんは、これが最後の手紙になることを予感していたのかのように、文中には長く停車する駅で面会したいと懇願する表現が何度もありました。しかし、季節は秋。農家だったSさんの姉夫婦は、稲刈りで忙しい時期だったので、結局、Sさんは希望した駅で姉夫婦には会えず、実家の近くの停車時間が短い駅で面会したようでした。
 Sさんを慕っていたFさんは、後にこの手紙を読んで、Sさんの気持ちを思い涙した、と書いています。Fさんは晩年、私の自宅敷地内に住んでいて、私自身もFさんを知っている。でも、Fさんがどんな人生を歩んだのか、またどんな人だったのか、詳しくは知らりません。何世代も前のSさんについては、お墓に刻まれたその名前を知っているだけです。
 今回、彼らの書いた直筆の手紙、コメントを読んだことで、彼らが生きていたという当たり前の事実を実感しました。もう少し言うなら、彼らが生きていたときの想いを感じた、ということなのかもしれない。 

 過去に生きた人たちには会うことはできない。でも何らかの方法で、過去に生きた人たちの人生に触れることは可能だと思いました。
 世代間で想いを引き継ぐことは難しいかもしれません。私自身も目の前の生活で手一杯になることがほとんどですが、Fさんがそうしたように、私も過去に生きてきた人たちに想いを馳せるくらいの余裕を持っていたい。お盆を前に、そんなことを考えました。

おわり
 

サポートいただけたら、デスクワーク、子守、加齢で傷んできた腰の鍼灸治療費にあてたいと思います。