体験していないことをどう伝えるのか?世代を越えるパブリックヒストリー
昨日、北九州ESD協議会主催によるワークショップが開催されました。
東京大空襲の現実を伝える活動をされている早乙女さんが東京からお越しくださり、ご講演いただきました。
命の重み、儚さを後世に伝え、決して歴史は繰り返してはならぬという内に秘めた力強いメッセージを感じました。
早乙女さんは、お父さまが東京大空襲の被害者であり、お父さまの遺志を引き継いで活動されています。ご本人自身にはその体験が無い、いわゆる第2世代です。
体験の有無により、実際にあったことを、リアルに感じれないという課題が現実的にあろうかと思います。
物だったり、声だったり、場所だったり。
リアルに感じれる再現に向け、懸命に活動をされています。
続いて、今年、北九州市にオープンした、『平和のまちミュージアム』の重信館長さんがご講演されました。
民俗学の専門家である重信さんは、『パブリックヒストリー』とは何か?
というお話を展開されました。
ひとつひとつの言葉や印象や感情を、細かく分解し、定義しなおし、丁寧に思考を紡いでいく過程を分かりやすくお話していただきました。
例えば、歴史とは何か?
というときに、歴史の専門家が、これが最も事実らしいだろうという一択の答えにして、伝承されることという認識がぼくたちにはあるよね、って問いかけました。
これは、『事実』と『歴史』の違いになってしまう、とおっしゃいます。
パブリックヒストリーとは、このような歴史学の専門家がつくったようなものではなく、大衆の、一般市民が、開かれた認識として伝えていっていくものだ、ということでした。
後に、ご登壇される、聞き書きの手法で八幡や門司の空襲の記録をまとめていった渡辺館長や、到津動物園と戦争の関係などを絵本にまとめた原賀さんは、まさにパブリックヒストリーをつくりあげていくのに、体現し、実践された活動でした。
事実を経験した本人から、それを受け手として聞いたり伝えてもらうことは、『継承』ということです。
第3者でも、想起し、語り直していくという仕掛けも大切です。
しかしながら、事実を持つ本人からでなく、第3者に渡ったり、更には第3者から継承しようとしたときには、事実とは異なる、『想像』が『余白』部分に入っていくことになります。
これを逆に大切にして、想いを馳せ、想像し、感情を移入させていくことが重要なんだろうと思います。
オープンしたばかりの、平和のまちミュージアムの仕掛けのひとつをご紹介されました。
大型のタッチパネルの画面に単語の文字が浮かびあがってきます。
その文字に触れると、その文字と関連した当時を体験した方の言葉が数行になって表示されます。
そのたった数行のなかに、込められた想い。切実な体験。
そこから周りにあったであろう世界観に想いを馳せます。
そんな自分から、その場所へ積極的に感情移入しようとする主体性をもってもらう仕掛けになっているそうです。
資料展示なんかは、ただ並べられているだけで、その力の方向は一方向です。
そうではなくて、こうしたアプローチで感じていただく仕掛けになっているそうです。
第3部は、トークセッションです。
ゲスト登壇の早乙女さん、重信館長さんも交え、
先ほど紹介した渡辺館長と原賀さんにもご登壇いただきました。
ぼくは、全体を進行するファシリテーターとして光栄にも参加させていただきました。
渡辺館長は、戦後70年というときに、当時を知る方から、そのときのことを今、しっかりと受け止める必要があると、多くの方から八幡大空襲の体験を聞き、書き起こしていかれました。
西門司に異動されてからは、門司の空襲や大水害の記憶も『未来への伝言』という本にまとめられました。
原賀さんは、到津動物園が閉園するという危機に面し、存続を望む声をあげ、ただ声を上げるだけではそこに魂が残らなくなることを危惧し、絵本にまとめ、動物園の歴史や子ども達の感動がそこにあり続けたことなどを記録し、後世に残って表現していくカタチにまとめられました。
また、『桃太郎からの手紙』という本も書き起こされ、年代や世代を越えて伝わっていく表現されています。
お二人ともに共通していることは、
ただ、当時の記憶を聞く受け手となるだけでなく、
更にその次の世代へも伝わっていくようにと『表現』をしている点が素晴らしいと感じました。
前段に記載したとおり、本人でない継承はとても難しいものです。
本人からの情報がまとまった表現になっているということが、その表現から発するエネルギーにもなりますし、そこに継承としての記録が残り続けることになります。
参加者のなかからもご発言いただきました。
知覧の特攻隊の手紙を読み、当時の若者の想いや後世に平和な世の中を伝えていってほしいという遺書を、時空を越えて受け取ったという、樺島さん。
子ども達や若い世代でも入り込みやすいように、マンガにまとめられています。ぼくも読んで、涙しました。
若松で戦争資料館を残していこうと活動されている、小松さん。学校の先生をされていて夏休みの登校日での平和学習が無くなっていることの危惧や、命の大切さを世代を越えて感じて、考えてもらいたいと、若松区で資料館の維持・再建に励まれています。ぼくも設立に向け、少額ですが、寄付させていただきました。
北九州市立大学の弓場さんは、子ども達に対して平和学習を取組んでいるそうです。やはり、戦争の記憶や平和に関する話題が、子ども達にはあまりなく、歳の近い学生が子ども達に語りかけることの意義を感じているとのことです。また、共感する学生たちとどのようにアプローチしていくと良いのか、議論をしているとのことでした。
ご発言された皆さんは、それぞれが何かしらの『きっかけ』があって、このような活動を展開されている、ということに気付きました。
動機、原動力、モチベーションといった、心の変化や、心が強くなるきっかけが、皆さんを突き動かしていると感じました。
トークセッションの終盤のまとめとして、
このような『きっかけ』は、決してみんな本人でなく『継承』された『受け手』だということです。
この会場でご一緒した皆さんも、同様です。
多からず少なからず、このワークショップが、何かの『きっかけ』になって、次に継承し、受け手がまた増えていくと良いなと感じました。
パブリックヒストリーの概念に立ち返り、
ぼくたちのような専門家でもなく、
肩書きもない市民が、
自分たちの言葉で、歴史や記憶を継承していき、社会全体の歴史をつくりあげていくことが大切でしょう。
そのためには、専門家でもなんでもなく、
ぼくたち市民が、話題にあげ、おしゃべりでも展開していけると良いなと思います。
もうすぐ戦後80年です。
戦争体験者から当時の記憶を聞くということはだんだんと難しくなってきています。
戦後70年から、この10年の時の流れは、全く別のフェーズに移っていると言っても良いのかもしれません。
亡くなったぼくの祖父母は戦争体験者です。
祖母は、敵を殺めるための爆弾を作っていたそうです。
祖父は、敵地を侵略するために戦艦に乗っていたそうです。
そんな祖父母は、幼いぼくに度々言っていました。
絶対に戦争はしてはいけない。
あんなことは二度とあってはならない。
ぼくは、本人からそのバトンを受け取った当時者です。
今の子ども達は、残念ながら教科書の出来事としか感じられなくなっています。
この痛ましい記憶を、明るい未来を続けていくための教訓として、パブリックヒストリーとして語り継いでいく必要があると思っています。
北九州において、
未来に向かい、
平和や、戦争のない世界を願い、
活動したり、想いを傾けた皆さんが集いました。
この熱が、また次の人達へ伝播していくことを願っています。
今日もご覧いただきありがとうございます。
関連する記事をいくつか貼っておきますね。
<1年前の”今日”の記事★>
今で言う、『好きっちゃアカデミー』の話ですね!
学生たちの活躍にはいつも脱帽です。
昨日も、志井あそぼうさいで大活躍いただきました。
ぼくたちNPO法人好きっちゃ北九州の活動費の多くは、こうした学生の活躍を支援することに充てています。
今もこれからも北九州を盛り上げる皆さんへ、ご支援いただけると嬉しいです。