たくさんの君と、たった一人の君は、一体何が違うのだろう。どちらも同じ君なのに。たくさんの君を選り分けていくことは、時として傲慢だと思う。乱暴だと思う。だけど世の中は、そんな傲慢さや乱暴さをこそ必要としているらしい。つまり、結局はみんな、他人のことになんて興味がないってことなんだ。
はっきりと輪郭を持った君の姿より、霧の中にいるような、暗闇の中にぼんやり浮かんでいるような、そんな君の姿が好きだ。それでもそこに君がいる、そう感じられることが好きだ。もしかしたらそれは、僕が君を愛していないからかもしれない。あるいはそれは、僕が君を愛しているからなのかもしれない。
ただ君が君であるだけの君自身を見つめようとすると、僕は何も見えなくなる。でも、君と誰かをつなげようとしたとき、僕の目の前に君が現れる。きっとそれは僕自身についてもそうで、ただ僕が僕であるだけの僕自身なんて存在しない。その意味で、孤独とは正しく死のことだ。僕らはいとも簡単に死ねる。
君は暗闇でのみ姿を現し、陽の光の元ではぼやけて消えてしまう。君について表現するための最も適した方法は、君については何も語らないことだ。それはくだらない矛盾でしかないという人もいる。その人は忘れているのだろう。矛盾も事実のひとつだということを。事実でもって事実は打ち消せないことを。
深い水の底に潜っているみたいだ。ここは暗くて冷たい。何も聞こえない。それに、苦しい。君はいつもこんなところにいるんだね。だからそうやって、外に出よう出ようともがいてる。だけど、外に出たところで、結局地面の底へと潜っていくだけだ。そうしてまた、再び暗くて冷たい水の底へと帰ってゆく。
今まで一体何人の人たちが、君のために死んでいったのだろう。なんて言うと、君は怒るだろうか。君のおかげで生きられた人もたくさんいると、君は言うだろうか。そうかもしれない。だけど、君はいつも、たった一人でたった一人を救うだけだ。その一方、君はいつだって、たった一人で大勢の人を殺せる。
君は誰かが決めた君でなければいけないんだよ。そうでないと、君が誰だか、ほかの人には分からないからね。その誰かの決めた君が本当の君かどうかは問題じゃないんだ。誰もそんなことには興味ないから。だけど、僕の興味は本当の君のことだけだ。だからまたこうやって、君と睨めっこをしているわけさ。
僕は君から逃げ出して、空の向こうを見る。ただ風の音を聞き、息を吐く。そうして君がいない世界を実感する。本当に大切なときに限って君は必要なかったって、そんなことを考えてみる。だったら君なんかいなくなればいいのに。そう声に出してみる。でもそれも全部君でしかないから、やりきれなくなる。
君は世界にたった一人で生まれてきた。そんな君がこの広い世界と向き合っている。君の目はたった二つしかなく、君の視野は百度の範囲もない。しかし、そのたった一人の君が、たった二つの目で、わずか百度の範囲内で見たものは、紛れもない真実だ。その真実が、たとえこの世界に八十億あったとしても。
誰も君が誰かということを知らない。というよりも、君が誰かという問いの答えは、その問いを発する人の数だけ存在する。なのに、そんな君の外見や中身について優劣を述べるなんて、馬鹿馬鹿しいことじゃないか。本当は、君という存在に気づけば、それだけで意味があるはずなんだ。僕は、そう思うんだ。
君はたった一人の君のような顔をしているけれど、本当は、君はいつだって誰かのそっくりさんなんだ。どこにも、誰にも似ていない君などいない。僕自身にすら似てやしない。君はいつだって、どこかからやってきて、乱暴に僕の中に入ってくる。そして、僕全部を支配する。僕じゃない顔をしているくせに。
ただ僕にとってだけ必要な君は存在するだろうか。でも、そんな君が存在したとしても、そのことに一体何の意味があるのだろうか。だって、そんな君は、もう君ではないのかもしれないのに。ならば、僕にとっての君は、誰かから投げつけられた君でなければならないのだろうか。そこに僕はあるのだろうか。
君が怒ったときの顔しか思い出せない。そんなはずはないのにな。笑ってたときや優しかったときもあるはずなのに。でも今は、どこにもそんな君はいない。そういうときは、君のことを忘れるしかない。そうして君を待つしかない。変な話だ。どっちの君も君なのに。結局君が君であることは変わらないのに。
みんなが君のことを見て、僕がどんな人かを話すから、僕はまるで君のほうが、本当の僕のような気がするんだよ。だから嫌になる。だけどまたこうやって、ノートに何かを書いているんだ。そしたら君が笑った。結局、君に頼ってるんじゃないかって。そうだね。君はいつだって、僕の心よりもずっと正しい。
君がときどき嫌いになるよ。君はいつだって僕の心をかき乱すから。君をときどき殺したくなるよ。君は僕を批判するから。君が綺麗に着飾ったら、もう君じゃない気がするよ。だけど着飾らない君を見たら、みんな顔をしかめるんだ。嘘なんていくらでもつけるのに、なのに真実はいつだって君のことなんだ。
君には君の人生がある。 私には私の人生がある。 君はいつも私のことを想ってくれてるみたいだけど、私のことなんかそんな大したことじゃないから一旦忘れて、今楽しいことをすればいいよ。 君は君のいいようにしたらいい。 二度と来ない今を後悔のないようにすることの方が重要だと思うから。
愛は尊いなんて言ったのは誰だろうね。愛は尊いものだろうか。僕は僕よりもほかの誰かのほうが、ずっと上手に君を愛せる気がするよ。なのに、それは僕が君を愛さない理由にはならないんだ。いつか訪れる裏切りも、壊れてしまうことも、君を愛さない理由にはならないんだ。それは尊いことなのだろうか。