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個人であれ社会であれ、誰も絶望する誰かに希望を与えることなどできない。そんなことを望むのは驕りでしかない。そのことは、恐らく絶望する者自身がよく知っている。絶望はその者自身が勝手にすることだ。だから、その者自身が勝手に解決するしかない。周りの誰かにできるのは、ただ祈ることだけだ。
納得できないことに出くわしても「そういうものさ」と呟けばいいよ。そうして一呼吸置けばいい。まるで、読みかけのページに栞を挟むみたいに。ちょっと一休み。コーヒーでもいかが? 疑問や許せないことが溜まっていっても、それで物語が終わるわけじゃないよ。ただ自分のペースで読み進めていこう。
運や誰かの評価は、君にはどうすることもできない。だから、夢を思い描くときは、運や誰かの評価ではなく、君の力次第で叶う夢にするといい。自分の夢が叶うかどうかを他人に委ねてはならない。自分の夢は自分の力で叶えるんだ。自分を信じ、ただやるべきことをやることで叶う夢なら、絶対に叶うから。
人の主観と戦ってはならない。そんなことをしても、無駄な労力にしかならないから。誰かに間違いを指摘されて受け入れる人などいない。そんなことに時間を割くくらいなら、ただ黙々と客観的事実を埋めていくといい。人間の「自分自身」なんていうものは、客観的な事実には唖然とするほど弱いのだから。
当たり前のことが馬鹿げた綺麗事に聞こえるのは、君が汚れた世界に生きているからだよ。でも、もちろん、君がどんな世界を生きようが、それは君の自由だ。だから、笑いたいなら笑えばいい。ただ一つ、誰かを君の世界に引き摺り込むのはやめてくれ。地獄を生きるのは勝手だけど、自分一人でやってくれ。
生きていくために覚悟を決めたことが何度もあった。でも、普通に生きられるなら、覚悟を決める必要すらなかったんだ。自分を通すためには、乗り越えなければならない多くの戦いがある。それは主に嘲笑の類だ。問題は、その戦いが、あまりにくだらなく、あまりに無意味で、ただ虚しいだけということだ。