デザインの本質とは「ユーザーをアフォードする装置」。すなわち自然物も含め、利用者の目的を達する行動を取らせる設計全てだ。 故に必要なのは芸術家気取りの自己表現ではなく、他者を慮る哲学である。 https://note.com/yabunira/n/nda8c2b941025
広義のデザインとは「ユーザーの行動をアフォードする装置」である。使う人がそうとは気づかない形で「すぐ気づき、わかりやすく、身体に馴染み、企図された目的や行動を達成する」のが秀逸なデザインだ。 https://note.com/hmsn3214_/n/n7df8856f95f2
あらゆるプロダクトは歳月と共に陳腐化または老朽化する。やがて迫りくる死に抗うべく、デザイナーやクリエイターは定期的なリデザインやリフォームによる新陳代謝を行い、寿命の永続を図る必要がある。 https://note.com/hebereke/n/n2166eb6919bc
日本人と西洋人の美的感覚の差異は「彩度」と「コントラスト比」にある。気候や地質や植生や日照に基づく色彩文化の違いから、全体的に日本の映像・写真・絵画はのっぺりして薄く淡く地味に見えがちだ。 https://note.com/shijimiota/n/ne616cc752eff
絵に必要なのは「わかりやすさ」ではなく、「伝わりやすさ」だ。 単純に情報量を削減すれば、素人や子どもにも理解できると考えるのは危険である。 わかり易い絵を描けば伝わるという誤解|楽描人カエルン https://note.com/vpkaerun/n/n88a18dad41ba
近頃ネット上では「デザインの敗北」が話題だ。デザイナーの個人的主観や美的感覚におもねり、利用者の感情や本能を無視した製品設計を揶揄する言葉である。 故にデザインにおける勝利とは「誰もが自然に使えて、常に正しく機能する」ことに尽きる。 https://note.com/tmaeda/n/ne60d14e06800
ロゴス(logos)とは「物事を仕分けること」。初めに言葉が在り、万物に名を与えたことで世界が生じたように、デザインとは線引きや切り取りやラベリングを用いて新世界を創造する行為である。 線を引く(「非デザイン論」に向けて)|棚橋弘季 https://note.com/tanahashi/n/nc24878ab9620
「“こだわりがない”のがこだわり」――個性の塊みたいな私も、なぜか絵に関してはそういう部分がある。特に委託や企画協力など「人から任される」仕事については、オリジナリティを尊重し「己を消す」のが信条だ。 プライドがない文章|林伸次 https://note.com/bar_bossa/n/n777bf74cbd94
クリエイターやアーティストが自我や個性を出そうが、趣味や娯楽があろうが、それは別に構わない。 でも他人の作品や仕事を手伝ったら、その瞬間に「お前の作品ではない」。 だから自分の個性を消し、他人の作風に寄せていく――「黒子に徹する」とはそういうことだ。真の黒子は芯がブレない。
作家自身がネタも金も出す分には、誰にも文句を言われる筋合いはない。しかし他人のネタと金で仕事をするなら、あえて「自分を出さない」のがクリエイターとしての矜持だ。 もちろん「面白くなるようにアイデアを出す」のはいい。でもそれには作品や作者に対する知悉や深い洞察を有することが前提だ。
近年は機材の低価格化が進んで「現場の下積みからの叩き上げ」を経験しない映像作家が増えている。彼らは一人で何でも作ってしまうので個性が強く、実際に自身の「作家性」について語る場面も多い。 でも、他人の金や原作の世話になっている立場でそれを言ってはいけない。お前らはゴダール気取りか!
創作の世界ではしばしば「ストーリーが先かキャラクターが先か、それとも世界観設定が先か」といった議論が巻き起こる。 しかし、私はいつも「コンセプト優先」=何をつくるかを考えてきた。それが決まれば物語も人物も世界観もおのずと決まるのだ。 https://note.mu/iijimafon/n/ne6c8aa11d97d
デザインというものは何かを妨げたり、人々を支配したりしてはならない。ただ人々の役に立つこと、それだけが目的だ。 ――ディーター・ラムス(工業デザイナー) https://note.com/tishow/n/n550e4f5e971e