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テーマを決めるということは、制約を設けることである〜作品制作における「制約」「縛り」のアンチテーゼ性について〜
よく、中高美術の時間に、「作品のテーマを決めてください」といわれて困った経験がある人も多いのではないか。私もそのうちの一人だった。
皆さんは、「怖いりんご」の絵の話を聞いたことがあるだろうか。
一聞、グリム童話のタイトルのようだが、今回の話は違う。
ある実験の話。
一つのクラスをAグループ、Bグループの半々に分ける。
Aグループには「怖いりんごを描いてください」とだけ伝え、Bグループには「怖いりんごを描いてください。ただし、りんご自体に絵を描きたしてはいけません」という「制約」を設ける。
すると、制約がなく、自由に描けるはずのAグループは、りんごに大抵ドクロが描かれたのに対し、Bグループは、「りんご自体はいじってはいけない」という「制約」があるため、怖そうな墓地の背景が描かれたり、りんごのまわりに怖そうなオーラが描かれたりと、個性が見られたという話。
個人的に、よくないテーマ設定の例として、「感じる」「触れあい」「希望」「恋愛」「楽しむ」などがあると思う。
これは、私自身、美術の教育実習生として担当したクラスの文化祭の出し物におけるテーマ設定時に(少数派だが)見られた。
逆に、いいなあと思うテーマ設定は、東京ディズニーリゾートのテーマランド(「ウエスタンランド」、「アドベンチャーランド」etc)や、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」における、「笑ってはいけないポリス」などが言えると思う。
例えば「ウエスタンランド」だとしたら、「ウエスタン縛り」と言い換えられる。要するに、この広い世界の中で、「ウエスタン=西部劇」という言葉から連想されるオブジェクトや照明などのみ用いて、世界観を表現すれば良いのである(余談だが、本場アメリカのディズニーでは、フロンティア(開拓)ランド=と呼ばれているらしい)。
前者後者の一番の違いは、もちろん、プロか素人かの違いであるが、それよりも、ちゃんとテーマが「制約」「縛り」として機能しているかどうかなのではないか。
テーマを設定する理由は、作品の方向性を決めることによって他人同士が意思疎通を図り、作品制作をスムーズにすることが目的の一つだったはずなのに、「感じる」「触れあい」などではやりづらい。
それよりも、例えば文化祭の出し物を決めるなら、「絶海の孤島殺人事件」「移動遊園地」「校長先生を裁判にかける」などのほうがよっぽど具体的で、テーマ(=縛り)として成り立つのではないか(例は悪いが)。
もちろん、個性的なことが「善」とはいいきれないが、例えば、最近のゲームは個性がなくなっていると感じる。
技術的にほとんど全てのことがゲーム表現で可能となった今、世界観や時代が違えど、大抵、キャラクターが3Dの世界の中を動き回っているという印象をもつ。
しかし、一般にレトロゲームといわれる、容量に「縛り」のあった作品たちは、個性的だった。「スーパーマリオ」もそうだし、「ドラゴンクエスト」や「FF」、擬似3Dの「ハイウェイスター」などもそうだ。
レトロゲームたちは止むを得ず「制約」を設けていたと思うが、図らずとも個性的であるし、そうならざるを得なかった。
私自身、しがない一人のデザイナーであるが、個性というのは価値になりえるとも思うから、便利になった現代だからこそ、敢えて「制約」「縛り」をもうけて作品を制作したいと考えている。
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