美術、デザインを学ぶ上で大切な、自然物に宿る意図のようなもの

人間が作ったものには必ず人間の意図が存在します。単純に見えるロゴマークやトイレの便器にさえも、作った人の試行錯誤や思想、考えたことがつまっているのです。マルセル•デュシャンはトイレの便器をアート作品として出品しましたが、便器をデザインした人は別にいるってことです。デザインした人は便器がどういう形をしていたら水が流れやすく、また同時に大量生産にも適しているかを研究したはずです。

大量消費社会と言われる現代ですが、私たちが当たり前のように使っているパソコンや携帯、あらゆる日用品、建築、全て、誰かが苦労してデザインしたものであることを考えるとワクワクしてきませんか?

本文では、それらの根本的な部分に迫ります。「機能美」という言葉を聞いたことはありますでしょうか。日本刀をカッコいいと思う人はたくさんいますがこれも機能美です。適度にカーブしているので切りつけた時の衝撃をうまいこと横に受け流すことができます。また、よく研いである刀は、原料である鋼鉄の輝きがそのまま質感の美しさにつながっています。

機能美は自然界にも存在します。イルカや鯨は流線型といわれるラグビーボールのような形に近いですが、前からくる水流をうまく受け流すことができます。より早く泳げるような形です。それは人間が作る潜水艦や飛行機にも生かされています。
他にも、昔の人は、鳥を見て空を飛ぶことを夢見ていました。だから鳥にそっくりな構造物を作って空を飛ぼうとしてきました。古代エジプトには空中を滑空する鳥の形をした子供のオモチャが存在したと言われています。人間は昔から自然から学んで人工物を作ってきたのですね。

「模様から模様を作らず」と言ったのは富本憲吉です。私たちが見て、美しいと思う模様は自然物を見て簡略化して作られています。ホームセンターに行けば花柄や植物柄など様々なパターンを目にすることができます。印刷技術の進歩で本物と見紛う木目や森の壁紙などもあります。

しかし、なんだかダサいな、と思ったことはありませんか?博物館や美術館、ペルシャ絨毯の店で見るようなも模様と、何かが違うのです。

それは1つには模様から模様を作っているからです。誰かが描いた花の絵と、さらに誰かがその花の絵を見て他の模様にしてしまった商品を比べてみるとどうでしょう?前者は花の美しさ、機能美を理解した上でデザイン化していますが、後者は「作風の持つイメージ」をデザイン化しています。やっていることは全然違うことです。

もう一つは素材の持つ必然性です。例えば日本刀の美しさの一つ、鋼の輝きは素材が剥き出しの状態です。
しかし現代社会では印刷技術、塗料の発達によりあらゆる物に、その物体が持つイメージとは真逆の印象を持たせることも可能になりました。極端な話、色を塗ることで鉄を柔らかく軽く見せることもできるわけです。

技術が進化してなんでもできる、ということはその分、素材の良さを殺してしまう可能性も広がったということなのです。反対に、ペルシャ絨毯の模様は毛織物という材料の制限を受けます。表現できる模様が制限される分、素材との相性が充実するわけです。

技術が進歩した現代において私たちが伝統を守りながら文化を発展させていくためには、盲目的に技術的に可能な部分に依存するだけでなく、必要な制約をも考えていくことが重要でしょう。

その制約とは、自然から学び、利用する素材が持つ良さを活かすということです。近代的なビルが立ち並ぶ現代においても和室や古い日本家屋は人々を引き付けてやみません。

それは人間が受け取るイメージと使われる素材、それらが調和することで、精神面、さらには健康にも良い影響があるということかもしれません。

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