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デザインの感覚論

目覚め

一つの論を語れる程の力はない。

だが、ここ最近、デザインに触れる時間が一気に増えた中で自分がどう頭を動かしているのかが薄っすらと見えてきた。

一流のアスリートは全身の指の先まで神経を張り巡らせることで今自分が何をしているのかを無意識にも明確に捉えている。

2週間ほど前は課題に追われ、基礎に揉まれ自分の現在地が掴めないようなモヤモヤ感を抱いていた。
そんな日々の最中唐突に頭に浮かび上がってきたのは薄い輪郭だった。
果たして中身はあるのかは分からない。
ただ、ぼんやりと濃霧の森に見える輪郭だ。


逆行


ご名答。

映画TENET(テネット)のテーマだ。
ただ映画の話はあまりしない。
頼むから、ガッカリはしないでくれ。

「逆行」

この言葉を経験することは少ないだろう。
だが、創作をする時、たまに出会うことがある。

それはアイデアが現れる時だ。

そして重要なのはその時に
完成形もほぼ見えていること。

一本の光の筋が現れ最終形まで
一瞬にして繋がる感覚がある。

正直なところ、最初のイメージが残りそれが最後まで続けられただけなのかもしれない。
しかし、色々な試行錯誤を経ても出来上がりが最初の形とほぼ変わらないことがある。
つまりは、因果の関係が逆転している。先に結果が飛び込んできて、それに応えるように努力はしていないのにも関わらずそうなってしまう。
映画TENET(テネット)でいう
*注意.微ネタバレ含む
既に発砲されて壁に埋まる弾丸に銃口を向け、逆行させて発砲前の弾丸として回収するあの動作。あの絵に非常に近い。
調べてみると
実はあの偉大なミケランジェロも
同じようなことを言っていたらしい。

「優れた彫刻作品というものは、あらかじめ石の中に内包されている。私はただそれを取り出すだけ」

やはり、作品は出来上がる前から本当の答えを知っているようだ。それについて論理的には分からない。これは本当に感覚論だけの話だ。
だが、太古の芸術家も同じようにその普遍的な何かを感じていたのは間違いないようだ。


尊い


僕はイラストが上手くない。
隣の席の彼、彼女らの絵を見て心をやられてしまう。(感心の意味でもあり、自尊心の低下という意味でもある。)

純粋に羨ましく感じる。

しかし、いつかの誰かは

「羨ましさや嫉妬心は自分の
手の届く範囲でしか発生しない」

と言っていた。

その通りだ。

超越したものは感情がチクリとする隙も与えてこない。ただただ崇高である。
それは、人が大自然を見て、圧倒されるよう時のように。
最近で言うとそれは
「尊い」に近いかもしれない。

美しい、綺麗、可愛い、好き。
などそれらの感情から派生する妄想の類は抑止されしまう。
宗教でいう崇拝だ。
実際、この言葉を多用するアイドル界隈では文字通りの信仰心が試されるものなので。

そう、話は逸れたが

このことから僕は
「羨ましさや嫉妬心で疲弊してしまう」
状況よりも自分にとって崇高な、尊い存在を見出すことがいいのではという答えに辿り着き、できるだけ、圧倒的な作品に触れるようにしている。

突然だが、長くなったので、
今日はここで話を終えることにする。

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