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#毎日note
私がコロナにかかる可能性を概算してみた
4行まとめ:今回は、ロンドン在住の私がコロナにかかる確率を概算してみた。私がコロナに感染する確率は、約0.65%。しかし、この値は、過去のデータに基づく統計値でしかなく、「私が将来コロナにかかる可能性」ではない。その可能性はあくまで、私個人及び他の人々の行動様式、感染リスクに対する捉え方、そして、何より相手方であるCOVID-19ウイルス自身の今後の動きや変異によって大きく変わる。
動機今回は、
はたらくことの三位一体説
「#はたらくってなんだろう」に呼応した記事である。
'21就活生として「まだ働いていない」という立場から、「働くこと」への思考を深めた。よって、就活時自分が考えていたことについて、せっかくなので、この機会に少し整理していきたい。「考えが甘い、社会を知らなすぎる」との意見は大歓迎である(実際そうだから)
1. はたらくことの三位一体説
何度か「就活における軸はなんですか」とに質問を受けたのだが、
プロジェクト・メコンとかえるとび
「リープフロッグ現象」とは
リープフロッグ現象(leapfrogging)という「カエルとび」現象をご存知でしょうか。これは、
通常、技術変化に伴い社会が常に「段階的」に変化していくのに対し、既存の社会インフラが整備されていない発展途上国において最新技術が導入されることで、最新のサービスが導入され、一段階前の発展を飛び越し、飛躍的発展を遂げることです。
アフリカにおいて、銀行システムが未発達だ
気候変動リスクと新しいGDP
「今年のGDP予想は...」等のニュースがすでに出回っている。GDPは私たちが経済状況を鑑みる上で外せない重要な経済指標の一つである。
GDPといっても実際は色々なバリエーションがある。しかし、近年それらの従来のGDPを大きく変える「環境インパクトを考慮したGDP」がOECDより提唱されている。そこで今回は、OECD等のデータを基に少し「環境インパクトを考慮したGDP」の日本の現状について調べて
SDGsとイスラム金融
3行要約:イスラム金融とは、シャリア(イスラム教における規範や法)に基づいた金融システムである。イスラム金融は、その概念自体が倫理的ビジネスを重視した金融のあり方を説いている。そのため、SDGs(持続可能な開発)との相性が良く、持続可能な開発のための有効なファイナンス手段として近年、期待されている。
ダラム大学イスラム経済金融研究所 (Durham Centre for Islamic Econ
イスラム金融とは何か
3行要約:イスラム金融とは、シャリア(イスラム教における規範や法)に基づいた金融システムである。イスラム金融は近年ムスリム国を中心に、従来の金融サービスに対する「代替的ファイナンス手段」として大きな成長を遂げている。しかし、市民のイスラム金融の仕組みに関する認識の欠如、シャリアを遵守しつつクリエイティビティを高めることの難しさ、イスラム金融システムの標準化の難しさ等、イスラム金融においてシャリアを
もっとみるWithコロナ 私たちはどこに住んでいるのか
「経済活動の空間と帰属意識」の関係性について少し考えていきたい。
最近、コロナのおかげで1日の大変を家で過ごしている中でふと
住む(Live) = 「その空間に生きる」だとして、これまではどこか市街なり地域に住んでいるという感覚があったが、それが失われていることに気づいた。
実際、外に出る機会がほとんどない状況において近隣地域の空間を共有する経済、社会活動(地元スーパーでの買い物、公園への散
食べて感情を昇華できるお金
日々の生活における、資本主義中心の現代社会への行き場のない憤りを「お金」に投影して「消化」したい
日経未来面×COMEMO お題「20年後、どんな『延長線上にない変化』が起きる?」に関連し、「食べるお金」のコンセプトを考えてみる。
「お金」は今日の資本主義のシンボルだとして、アイロニカルに、お金を食べることで、資本主義を競争社会の辛い経験や記憶を昇華し、消化することは可能だろうか。
「昇華」
なぜ私たちは、給付金10万円を受け取る前に使ったのか
「特別定額給付金」10万円が話題になっておりますが、今回は「臨時収入」について経済学的な視点から考えていきたいと思います。
「10万円」を振り返る
問1: 受け取った皆さんはいつ使ったでしょうか?
1.「特別定額給付金」10万円の給付が話題になった時
2. 「特別定額給付金」10万円の給付が決定した時
3.「特別定額給付金」10万円が実際に手元に届いた時
問2: 受け取った皆さんはどれく
お金は「記憶」を持ちたいのか
先ほど私が使った100円玉は「どんな経路を経て私の元に届き」そして「どこに向かっていくのか」
私たちにとって、(1) 今、私たちのお財布に入っているお金達の「記憶」を辿ることは可能か (2) もし可能ならば、私たちはその「記憶」を辿るべきかの二点を考えていきたいと思う。
1. 「お金」と私たちの「記憶」「お金」は常に私たちと日常を共にしている。だからこそ私たちの生活は、時たま「お金」と引づけら