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家族を愛せなくても

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大切だった家族がある日全員、敵になった。そこから私の「ホントの自分に還る旅」は始まった。家族への思いと心の葛藤、変容のプロセスを綴っています。
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記事一覧

父への「おめでとう」で氣づいた心の成長。

父への「おめでとう」で氣づいた心の成長。

「誕生日おめでとう。寒くなってきたから身体に氣をつけて」

父への声が自分でも驚くほどやさしかったことに電話を切ってから氣がついた。

今日は父の誕生日だった。
そして父へメッセージを伝えたのは3年ぶりだった。

こんな穏やかな氣持ちで父と話せる日が来るなんて。
私の心は成長したんだな、と少し感慨深かった。

父は私にとってホントの自分に還るきっかけをくれた人だ。

今でこそ父への愛はあるけれど、

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家族のこと。もっと氣軽に。

家族のこと。もっと氣軽に。

朝食はパンが好き ➡ ごはんは嫌い。
飲み物は紅茶が好き ➡ コーヒーは嫌い。
お風呂はぬるめが好き ➡ 熱いのは嫌い。
枕はかためが好き ➡ やわらかいのは嫌い。
下着は白が好き ➡ 色物は嫌い。

私たちは自分だけの好みというものを持っていて。
上記のような数限りない「好き」「嫌い」の組み合わせの集大成で「個性」というものができあがっています。

そう考えると「好き」とか「嫌い」というのは、個

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夢と家族への思い。

夢と家族への思い。

ときおり家族の夢をみる。

昨夜もそうだった。

場面は家族旅行の旅先の宿。
朝、目覚めた私は眠い目をこすりながら「おはよう」と言って家族が集まっている場所に入っていく。

視界には笑顔の妹夫婦が写っていて、両親の姿は見えないものの氣配は感じている。

たったそれだけのシーンなのだけれど、起きたときには懐かしさや切なさが入り混じった何とも言えない感情が胸をしめつける。

家族が出てくる夢はいつもそ

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なつかしくて切ない母への思い。

なつかしくて切ない母への思い。

7月21日 20:38 山羊座で満月を迎えます。

私は年に数回、満月のタイミングで心を揺さぶられる夢をみます。
普段は忘れてしまうようなおぼろげな夢も、このときはずっと後になっても覚えているほど内容が濃ゆい。

占星術で月は感情を示しているので、そんな夢をみる度に「星が私たちに与える影響はやっぱりすごいなぁ」といつも感心してしまいます。

おとといみた夢はこうでした。

母が出てきました。

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愛されていた。

愛されていた。

どんな時も私は愛されていた。

父や母、妹から。

それを強く感じられたとき安堵感で胸がいっぱいに広がり涙が止まらなかった。

家族に心を閉ざしてちょうど4年が経っていました。

4年前、実家に戻り色々なことがあり、それまで一番大切だと思ってきた人たちが全員「敵」になりました。

私を苦しめる人たち。

こんなに苦しいのは父のせい、母のせい、妹のせい。
なんで私だけがこんな思いをしなければならない

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自己犠牲。

自己犠牲。

自己犠牲を「愛」だと勘違いしていたころの話です。

ずいぶん長い間、私は自分の身を削って他者に貢献することが「優しさ」だとか「愛」だと思ってきました。

持って生まれた氣質としてホロスコープの6ハウス(「奉仕」を示す部屋)に太陽も金星もあるので、本質的に誰かに尽くすことに喜びを感じる性質ではあるのですが、そこに育った環境が影響し「自己犠牲=愛」という思い込みを根付かせていきました。

母が自己犠牲

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母の言葉の影響力。

母の言葉の影響力。

親に言われた言葉が事実ではなかったと氣づくとき、ホントの自分が姿を現します。

私たちは知らず知らずのうちに親に植えつけられた価値観の中で生きており、それが生きづらさの原因になっています。

今朝そのことを実感する氣づきがありました。

朝目を覚ますとふと

「あんたは難しいなぁ」

と言う言葉がポンと頭の中に浮かびました。

これは母の言葉。

小学生のころ、母が買ってきた洋服を私が氣にいらず拒

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家族を愛せなくて苦しんでる人たちへ

家族を愛せなくて苦しんでる人たちへ

前回の記事で家族に対する思いに縛られている人について書きました。

今日は、その中でもうちょっと深堀したい箇所があったのでそのことについて書こうと思います。

人はなぜ家族を愛せないことにそれほど苦しむのか?

という部分です。

ここを注意して観察してみると、この言葉の裏には

「家族を愛せないことが苦しい」のではなく、

「家族を愛せない自分が許せないから苦しい」という深層が見えてきます。

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家族を愛せなくても

家族を愛せなくても

血のつながりってなんでしょう?

親、兄弟、親戚…。

父と母がいてくれたから自分はこの世に生まれてくることができた。

そして育ててもらった。

確かにそれは事実です。

でもそこに重きを置きすぎると自由でいられません。

「家族だから」というだけでその関係性に縛られてしまうと、本来の自分を発揮することができない。

そんな人が多いなぁと感じます。

きのう、とあるグループセッションに参加しまし

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3年ぶりの家族

3年ぶりの家族

3月初旬、実家に帰った。

地元を後にするとき
「家族にはもう一生会わなくてもいい…」
と本氣で思っていた。

「次、実家の門をくぐるのは父か母のお葬式の時かもしれない」
そんなことすら思っていたのに。

きっかけをくれたのは妹だった。

「今、お父さん優しくなってな。お母さんの爪切ったりしてるんやで。これまでの2人からは想像できへんやろ。穏やかな時間が流れてるからいっぺん帰ってきたら」

とのメ

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役を降りて

役を降りて

前回の記事で3年ぶりに家族と会った話をしました。

家族の中で演じていた役回りを降りた。

だから久しぶりに彼らに会っても以前のように心が動かなかった。

ここまでは前回書いた通り。

そうすることで私は何を得ていたのか。

そこに氣づきがあり、それが分かったことでさらに深い部分に持っていた私の生きづらさの根源を見つけました。

今日はそのことについて書きたいと思います。

私が家族の中で役割を演

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親への罪悪感が捨てられないワケ①

親への罪悪感が捨てられないワケ①

きのうの記事を読んでくれた友人から
「言ってることは分かるけど罪悪感が捨てれない…」というコメントをもらったので今日はそのことについて書いてみようと思います。

きのうの記事⇩

親への罪悪感が捨てられない理由はいくつかありますが、第一に自分が「捨てたくない」と心の底で思っているからです。

「捨てたい」と思っているのに、ホントは「捨てたくない」。

うそーん、ホンマに捨てたいと思ってるもん!

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親の価値観から抜け出す

親の価値観から抜け出す

生きづらさを感じる根本原因は、大人になっても「親の価値観の中で生きているから」というのが大きいんじゃないかなぁ、と感じています。

今、私がそこから抜けたからこそ強く思うこと。

私たちは幼稚園や小学校で初めて他者と触れ合うことで、それまで親から教えられてきた考えとは違うものがあることを知ります。

その時に「な~んや、こんな考え方もあるんや。こっちを選んでもええんや」と素直に思えた人はそれを行動

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お金への思いと父への思い

お金への思いと父への思い

クリスマスのきのう、あるセッションを受けました。
受けた直後からじわじわきていて、今朝自分の中にあるものを整理するために文字にしてみました。

そしたらまた新たな発見があり…。

たぶんこの変容のプロセスは今後も続いていくと思うのですが
今の時点でわかった部分だけでもシェアしたいと思います。

お金への思い

セッションを受けた一番の理由は、「お金」への思いを変えたかったから。

今、私は自分ので

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