自己犠牲を「愛」だと勘違いしていたころの話です。
ずいぶん長い間、私は自分の身を削って他者に貢献することが「優しさ」だとか「愛」だと思ってきました。
持って生まれた氣質としてホロスコープの6ハウス(「奉仕」を示す部屋)に太陽も金星もあるので、本質的に誰かに尽くすことに喜びを感じる性質ではあるのですが、そこに育った環境が影響し「自己犠牲=愛」という思い込みを根付かせていきました。
母が自己犠牲の人でした。
高圧的でいつもけんか腰の物言いをする父。
そんな父の攻撃に耐える母。
そういった両親のもとに育った私は母を見るにつけ
「お母さんがかわいそう」と思うと同時に
「お母さんが耐えてくれてるからうちの家庭はなんとか守られている」
と思っていました。
母も父のいないところで
「あんたら(私と妹)がおらんかったら、あんな人とは別れてる!」
というセリフをよく口にしていて、そんな言葉を聞く度に
「母のガマンが一家を支えてる」という思い込みを強化していきました。
そんな母の影響をモロに受けた私は
「誰かのために自分を犠牲にすることが愛なんや」と自分に刷り込んでしまったのです。
だから自然に無自覚に自分の思いにフタをして他者を優先させることをしてきました。
特にそんなコミニュケーション法が顕著に表れたのがパートナーシップ。
オットの夢を叶えるために自分の好きな仕事を断念しました。
彼が飲食店を始めたいと言ったとき、私は編集プロダクションでライターをしていました。
書く仕事は好きで自分に向いているとも感じていました。
が、店を開業することになったとき両親や友人から
「夫婦ならオットをサポートするのが妻の務めだ」と言われ後ろ髪をひかれながらライターを辞めたのです。
このような表現をすると周囲の人に言われたからそうした。
というように聞こえますが、遅かれ早かれ私は自分の意志で店に入っていたでしょう。
だってそうすることが「愛」だと信じていたから。
私が店を手伝うのに抵抗したのは、ライター業が好きだったというほかに自分には接客業は向いていないというのが分かっていたからです。
繊細な氣質を持ち、自分の世界でマイペースに生きていくことをよしとする私にとってお客様相手の仕事はムリがあると知っていたのです。
予想通り店を始めてすぐ「あーやっぱり私には向いていない…」と感じました。
でも苦しいなんて言ってられません。
店を軌道に乗せるため、オットに料理に専念してもらうため、私は厨房の仕事以外のことは全部やりました。
そうやって長年自分の氣持ちを抑え込んできたツケが店を廃業した後に出ます。
飲食店を辞め、さぁ次は何をしようかとなった時に実家の両親から自分たちが経営していた美容室の経営を引き継いてほしいと打診があったのです。
父との確執があった私は断固としてその申し出に拒否したのですが、オットに「ここで帰らなければ親不孝になる」と言われ、そこでもまた自分の思いにフタをして帰ることになります。
が、私の心はもうそれに耐えられませんでした。
一旦は地元に戻ったものの、心身が崩壊。
その時はじめて自分の心と向き合うことがはじまりました。
「今の私は何を一番望んでいるのか?」
を真剣に考え、自分のホントの氣持ちに氣づいたとき、オットに向かって出た言葉が
「もう勘弁してほしい」でした。
そんなこと思ってもなかったので、そのセリフが出てきたとき自分でもびっくりしたのを今でも覚えています。
それは私の魂の叫び。
ホントの私が、ずっと自分にウソをつき続けてきた私に向かって放ったセリフだったんだなぁ、と後になって氣づきました。
長年自己犠牲を「愛」だと勘違いしてきた私にとって、自分の思いを一番に優先することは
「わがままなんじゃないか」とか「自分勝手なんじゃないか」とか自分を冷たい人間のように思えることもあるのですが、それは思考のクセ。
少しづつ自分の心に軌道修正を加えていっている最中です。
ホント、息をするようにしてきたことなので氣を抜くとついやってしまいそうになるのですが、最近では条件反射的に反応してしまう前にちょっとした違和感を感じるようになり、その感じを大切にしています。
自分に愛を持てない人は他者への愛なんて持てるはずもない。
とにかく矢印は自分方向に。
今はそんな風に過ごしています。
今日も読みに来てくださり、ありがとうございます。
また書きます。