愛されていた。
どんな時も私は愛されていた。
父や母、妹から。
それを強く感じられたとき安堵感で胸がいっぱいに広がり涙が止まらなかった。
家族に心を閉ざしてちょうど4年が経っていました。
4年前、実家に戻り色々なことがあり、それまで一番大切だと思ってきた人たちが全員「敵」になりました。
私を苦しめる人たち。
こんなに苦しいのは父のせい、母のせい、妹のせい。
なんで私だけがこんな思いをしなければならないの!
あななたちのせいで私の心はズタズタになった。
あれもこれも全部あななたちのせい…。
そして逃げるように私は家族の元を去りました。
家族との連絡を一切断ち、そこから自分の心と向き合うことが始まりました。
月日が流れ私の中にあった被害者意識は消え、家族との境界線を引けるようになりずいぶんラクになりました。
が、そこに「愛」はありませんでした。
家族をフラットに見られるようになったと思っていたけれど、どこか投げやりな感じがいつもありました。
家族とは言えひとりの人間。
お互い独立した大人同士なんだし、相手が誰であろうと自分を一番大切に考えるのが「自愛」だし、いつまでも仲良く一緒なんてそれ依存だし…。
そんな風に思おうとしてるふしがありました。
その言葉の裏には自分から家族に線を引いたのだから
「もう頼っちゃいけない。自分ひとりでやらなきゃ」
というかたくなな思いが含まれていました。
だからいつも淋しくて心細くて「ひとりぼっち」という思いが心の底にはりついていました。
その思いがどんどん自分を追い詰め、とても苦しかった。
世界から孤立しているような氣になっていきました。
そんなとき父と妹に説明しなければならない案件が浮上しました。
それを話すことは同時に、私がなぜ家族の元を去ったのか、ということも話すことにつながっていました。
数か月前、数年ぶりに家族に会っていましたが、父も妹も気を遣って私の近況については何も聞いてきませんでした。
私にしてみればこれまでの経緯を話したところで過去は何も変わらないし、家族に対する「恨み節」になるんじゃないか、とか「私こんなに大変やったんやで!」と相手を責めることになるんじゃないか。
そんなこと言っても何も始まらない…という氣持ちがありました。
だからこの案件が出て来るまでは話すつもりはありませんでした。
けれど心のどこかでは「あななたち知らないだろうけど、こんなに大変なことがあったのよ」という思いを言いたい、という氣持ちもありました。
そして色々考えた結果「話そう」と決めました。
その決断の背後にはいつもお世話になっているセラピストさんに
「ちえみさんは、大変やったことを我慢して言わないことが美徳だと思ってませんか? 言わなければ相手には通じないこともあるんですよ」
と言われたから。
感情をぶつけるのではなく、冷静にただ事実を話そう。
そう心がけて妹と父に話をしました。
最初は緊張していたものの話していくうちに
「あー私はやっぱり淋しかったんや。こんな氣持ちでいることをこの人たちに聞いてほしかったんや」という思いが湧いてきて思わず
「ずっと苦しかった…。ずっとひとりぼっちやと感じてた。もう誰にも頼られへんと思ってた…」
と言っていました。
すると父が「なんでもっとはよ言わんのや。家族なんやからどんなことでも言うたらええんや」と。
ビックリしました。
私の中ではずっと脅威に感じてた父からそんなセリフが出るなんて予想もしていなかったから。
自分だけのことしか考えない身勝手な人だと思ってたから。
そこからは「お金は困ってないんか」とか「ひとりやと思わんと、もっと大きい氣持ちでいたらええ」とか色々言ってくれて。
涙が出ました。
私ひとりぼっちじゃなかった。
私が家族をどう思おうとどんな時も家族は私を大事に思ってくれていた。
ありがたくて涙がとまりませんでした。
人は愛されていると感じられるとこんなにも安心感があるんだなぁと心の底から感じました。
この4年をかけて私は、一番近い人たちの中に自分の中にある汚いと思っている部分を投影し、それを忌み嫌い否定し拒絶し続けてきた。
そうしてそれがその人たちの中にあるのではなく、自分の中にあったものだと氣づき、認め受け入れようとしてきた。
とても大切に思う人たちだからこそ、その工程は壮絶で苦しくて。
でもだからこそそれらを受け入れられたとき本当の統合が起こり、人としてバージョンアップするのだと感じました。
ここまで長かったー!
でもちゃんと歩いてきてよかった。
そんな自分をほめたいと思います。
今日も読みにきて下さりありがとうございます。
また書きます。