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ときおり家族の夢をみる。

昨夜もそうだった。

場面は家族旅行の旅先の宿。
朝、目覚めた私は眠い目をこすりながら「おはよう」と言って家族が集まっている場所に入っていく。

視界には笑顔の妹夫婦が写っていて、両親の姿は見えないものの氣配は感じている。

たったそれだけのシーンなのだけれど、起きたときには懐かしさや切なさが入り混じった何とも言えない感情が胸をしめつける。

家族が出てくる夢はいつもそうだ。
場合によっては泣いて目覚めることもある。


そんな夢をみるようになったのは、家族との境界線が曖昧で苦しくなり自分と向き合うために家族の元を離れてからだ。

3年ほど家族と会わない期間があった。
その間に私は家族への依存からぬけ、最近になってまた再会するようになった。その時間もずっと夢で感じる感情は変わらない。

それは私に何を教えてくれているのだろう?



2年ほど前、はじめてソマティック・エナジェティクスというエネルギーワークを受けたとき、ハートが解放されて大泣きしたことがある。

そのころは自分がアダルトチルドレンだったという事実を知ったばかりで衝撃を受けており、母への憎しみで苦しんでいるときだった。

エネルギーワークの前日、グループセッションがありセラピストさんに「私と母は共依存で…」と話した際、「共依存じゃないですよ」と言われたのだけれど、それが解放へのトリガーとなった。

そのときは時間が足りなかったため詳しく説明を受けることができなかったにも関わらず私にとってはそのひと言で十分だった。

なぜならその言葉を聞いただけで私の中には「母を好きでいていいんだ」というある種の「ゆるし」のような氣持ちが湧いていたからだ。
その瞬間から涙が止まらず、部屋に戻ってからもずっと泣いていた。

そんなことがあった次の日のワークで私の心は解き放たれ、愛で満たされた。それはまるで泉にこんこんと水が湧くように次から次へと母への愛が溢れ出る感じだった。

子供のころ感じていた純粋に「お母さん大好き」といったあの氣持ち。
それをただただ感じていた。

母のことが大好きで、大人になっても母を大切に思い、でもいつも苦しくて…。その苦しさの原因が自分と母を同一化していたからだと知り、母の愛だと思っていた彼女の言動は私をコントロールするためのものだった、とわかり母を憎み…。

憎しみはあるけれど、根底にはやはり母への愛があり、それらが拮抗する中で「共依存ではない」と言ってもらったことで、「何も考えず母を愛してもいい」という許可が自分におりた。

抑えていた愛が一氣に放出された感じだった。


夢で感じる家族への氣持ちはそれとよく似ている。

母のときと同じように父や妹とも向き合い、自分の中で彼ら(自分)をゆるし、受け入れることができた。

そして今は彼らを愛しているし、その思いを素直に表現できるようにもなった。

ただそれは境界線をひいた上での愛で、どっぷり家族の沼にハマっている昔の私の愛の形ではない。

自立を前提にした愛こそが本当だと思っている一方で「もうあの頃には戻れない…」といった切なさが伴うのも正直な氣持ちだ。

決して昔に戻りたいワケではない。

それなのにどうして?

私は夢を見ることでその切ない思いを昇華させていってるのだろうか?


わからない時は一旦保留。

しばらく見守ってみようと思っている。

今日も読んでくださりありがとうございます。
また書きます。










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