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【ありがとう習慣は意識分布を変革する】意識と図形の意外な関係
世界とは(=意識とは)下のような11次元で出来ています。
※ひも理論(超弦理論)でも世界は11次元ですが関連性は現状不明です。
![](https://assets.st-note.com/img/1666264077508-azACwU4koR.png?width=1200)
僕は今から意識の話をしますが、意識の話をすると自動的に世界の話になってしまいます。
それらは別々のものと思われていますが、誤った認識です。
世界とは意識(=物質)そのものなので、意識を語ることと世界を語ることは、けっきょく同じになってしまうのです。
ともあれ、これが意識の11次元構造です。
では、なぜ意識はこのような構造なのでしょう?
それは図形の形を考えていくと分かります。
まず線とは何でしょうか?
![](https://assets.st-note.com/img/1666203243739-ypPb9S3Tm0.png)
例えば「昨日」「今日」「明日」という点があるとします。
これを結ぶと「時間」という線になります。
つまり線とは「時系列の感覚」を生むカタチです。
とすると
意識はどこで時系列の前後を区別しているか?
時系列感覚は、あなたの1次元で発生しています。
1次元って見えないですよね?
それもそのはず。
1次元とは未来と過去と今の区別のことだからです。
「意識における前後感覚」とは1次元そのものです。
「次元」というと数学やSF映画やルパン三世などで耳にするけど、自分とは関係ない概念だなーという感じがあるかもしれませんけど
むしろ人間の意識活動が次元そのものです。
なので線とは1次元的体感の模式図です。
そして1次元とは此処か前後だけの世界。
それが時系列感覚の正体です。
『Newton』などでも線を一次元と呼ぶことがありますが、正確には今見えている線は一次元ではありません。
僕達の次元内で模式的に表そうとしたとき「一次元」なる概念は「線」に相当する、というだけです。
にもかかわらず線自体が一次元だと思われている向きがあります。だからこそ「前か後ろしかない線みたいな世界って何? 想像もつかないね」みたいなズレた話になってしまいます。
三次元内における線を一次元の具体像とみなすからズレるのです。
そもそも線とは一次元をイメージするためのよすがに過ぎません。
実際の一次元とは線的なもの=つまり意識内における前後感覚のことです。
前後感覚を今、目の前に取り出してみてください。
無理ですよね? なぜならそれが一次元だからです。
高次元(ここでは顕在意識)の中に畳み込まれているのが一次元だからです。
そして一次元=前後感覚を無理やり高次元側に引っ張り上げて見える化したものが「線」です。
これは目には見えない電波を波打つ線で模式的に表すことがあるのと同じことです。
![](https://assets.st-note.com/img/1666359398922-Rupz6J4zjN.png)
これが緑の円で記した「①時系感覚」の意味です。
(また0次元とセットで考えるなら「概念」が生成される場所でもあります)
では次に線から次元上昇してみましょう。
1次元から上昇した位置とは
線の裏側にあるカタチが見える位置のことです。
ここで線から上昇してみると…
![](https://assets.st-note.com/img/1666203301704-3I4LX1M1eU.png)
では面とは何でしょう?
線が点の集合だったのと同様、
面とは線の集合です。
そして線とは「時系感覚」でした。
では「時系感覚」の集合とは何でしょう?
これは前後に加えて
更に2つの方向を獲得することです。
例えば前後+左右。
これが2次元です。
3秒前は位置A、2秒前は位置B、
1秒前は位置Cといったように
2軸で位置断面を見る働きです。
つまり2次元とは平面上の場所感覚です。
譜面上の音符の並びも2次元です。
![](https://assets.st-note.com/img/1666203481240-XKRDDtDCk5.png)
では次に平面感覚から次元上昇してみましょう。
面の裏側には何があるか?
![](https://assets.st-note.com/img/1666203575607-raIG1ddX9c.png)
無数の面の重なりとは立体のことですね。
面=前後+左右に更に上下が加わるために立体が生まれます。つまり三次元的な空間です。
しかし、この左の黒い図を見てください。
![](https://assets.st-note.com/img/1666204222992-ciTAhrooGV.png)
この黒い図は立体に見えるでしょうか?
右の図は比較的、立体に見えやすいですが、
左の真っ黒い図形は平面に見えがちでしょう。
ではなぜ右図は立体に見えるのでしょうか?
(実際は画面上の平面的模様でしかないのに!!)
そこに記憶が関与しているためです。
誰でもサイコロのような立方体を見た記憶があります。
立方体の様々な角度からの見え姿や、それを触った時の記憶があります。
だから右図を見たとき、それらを無意識的に想起するがためにこれを見た目から立体だと認識できます。
逆に記憶がなかったら右図も立体として認識できません。
ただの模様です。
いや、模様だという認識すら持てないでしょう。
記憶とは「時系感覚」「平面感覚」「立体感覚」があり、それらの断面をまとめて把持、識別できる働きです。
つまり、記憶とは顕在意識の働きそのものです。
「④持続意識」と書いたのはこのことです。
![](https://assets.st-note.com/img/1666204698389-TmX1OqgceA.png)
「④持続意識」とは僕たちが生まれてから今日まで自分なる存在が連なって持続してきたという記憶があることを指しています。
つまり、この持続意識がなければ自己はもとより、物理空間に対する立体認識すら持てないわけです。
この「④持続意識」の力によって①②③が串刺しにされることで初めて①時系感覚も②平面感覚も③立体感覚も立ち上がっています。
持続意識があるからこそ時間、場所、空間が区別できているというわけです。
つまり、4次元とは持続的な顕在意識のことです。
あなたは3次元の肉体を持った4次元です。
![](https://assets.st-note.com/img/1666205252119-qO4nF3j8Yl.png)
何があるでしょうか?
三次元が次元上昇できる位置には
何があるのでしょうか?
![](https://assets.st-note.com/img/1666206177803-OHMQR4suPD.png)
様々な立体の記憶=持続がありました!
(この模式図は「今」という断面の積み重ね=持続を意味します)
つまり、これは物質の裏側には例外なく
持続意識があることを意味しています。
そして肉体という物質の裏側には持続意識がありますが、
これは何も肉体に限ったことではないでしょう。
物質の裏側にはあまねく意識があるのです。
もちろん人間が持つ意識と
鉱物が持つ意識はイコールではないでしょう。
人間がおしゃべりな存在とみなすなら
鉱物はめっちゃ無口で一途すぎる性格です。
固い石は石たることに対し、固い意志を持ってるわけです笑
いわゆる物質も固体・液体・気体などのように三次元上にも様々な状態があります。
氷と蒸気が同じ水であることは一見信じづらいのと同様、意識にも様々な様態があると考えられます。
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持続意識が次元上昇した位置には何があるでしょう?
![](https://assets.st-note.com/img/1666267646921-0f776OWIYg.png?width=1200)
(これは左図のように1から2への上昇と同じ構図です)
では無数の持続とは何でしょう?
これは、いわゆる潜在意識、意識はできないけど僕たちの存在を裏側から支えている力と考えてよいでしょう。
例えば生体恒常性、心臓の動きや肺の動き、五感や本能的欲求、あらゆる生命維持活動のすべてです。
これは言い換えれば、神様からのプレゼントです。
あるいはゲームを盛り上げるためのイベントです。
4次元存在である人間に、この潜在意識の働きの全貌は認識できません。
認識できるのは心臓の鼓動など下位次元に降りてきたカタチに限られます。
こうして1から5の働きを通じて個人(自己)が形成されます。
そして世界はもちろん自己だけではありません。
世界とは換言すれば「わたしとあなた」です。
つまり6から10は他者側で同じ仕組みが形成されます。
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他者側なのでもちろん自己側からは内容を窺い知ることができない異次元です。
しかし、その他者の意識活動があるからこそ私の世界もまた形成されます。
こうして自己と他者の結びつきによって世界は描像されているわけです。
これが意識を語ろうとすると、世界を語ることにもなってしまう理由です。ふたつは同じ現象の表裏なのです。
さて最後に点と円、そして球についてです。
点とは無限を表すカタチです。
つまり、次元の繋ぎ目です。
![](https://assets.st-note.com/img/1666353244924-uIBI7fvkPI.png)
円や球となり、凝縮化されたものが点です。
臨死体験の際に潜る穴とは
この点のことかもしれません
よく数字の区切り目を表現したいとき「1・2・3・4・5」といったふうに間に点(・)をまじえて書きますけど、これはまさに次元の境目に無限遠点があることに由来しているのではないでしょうか。
点とは「位置だけを持ち、長さ・面積・体積をもたない図形」とのこと。
在るけど無い。無いけど在るのが点とも言えます。
それは素粒子の持つ性質とも同じです。
素粒子とは、まるで数学上の点の概念そのものです。
そして点とは「今」のことでもあります。
「今」こそ「在るけど無い、無いけど在る」の筆頭でしょう。
「今」を体感した瞬間、その今は既に過去になっており、別の今が継起しています。
そして、どの「今」にも無限の宇宙が含まれており、無限のイマジネーションが含まれています。
その無限の体感として存在しているのが人間の意識です。
アインシュタインは「見ていない時に月は存在しないのか」と尋ねたと言いますが、
存在って、そもそもなんでしょう。
「今」が在るけど無いものなのだとしたら、すべては在るけど無いものです。同時に無いけど在るものです。
つまり、すべてが点のような意識体験だということです。
自己が私と他者によって継起する存在であるように
存在とは在ると無いの狭間に継起するものです。
私だけの世界も、あなただけの世界も無いのと同様「在るだけ」もなければ「無だけ」もないのです。
それが存在であり、それが点の持つ意味です。
こうして考えてみると、実はいま存在できていることが、とっても幸せだと思えてきませんか?
存在が存在できていることは、なんて奇跡的なことなのだろうと思えてきませんか?
僕が今、存在できていることは今すでに多数の意識(つまり他者)に支えられていることを意味します。
自己とは潜在意識など自己以外の働きによって初めて存在しうるのです。
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説教くさく聞こえていたらすみません。ただ僕は、ありがとう習慣の中で自発的にこれに気づいてしまったので、目からウロコだったんです。
骨身に染みる感じでこれに気づいてしまうと、もう一切の孤独感や心細さは人生から消え去ってしまいます。
無数の意識核(下図赤点)がプロットされる位置の分布が
客観側⑧(=他人軸)優位から
自己側④(=自分軸)優位に移ったためでしょう。
![](https://assets.st-note.com/img/1666972985114-GvgYY8EryZ.png?width=1200)
「他人軸」優位な状態。他者評価や他者ありきの自己。
世界(他者)に振り回され、自己側に苦しみがつのる意識の構図。
右図は自己側に自己意識が多数分布。
「自分軸」優位な状態。世界と融和した意識の構図。
自分の考えや能動性を主体とし、他者に振り回されない自己状態。
ありがとう習慣は、この状態を作り出す。
そのため世界の見えが変化する。