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私の死に方など忘れて生き方を覚えていて。(古代の才色兼備ヒュパティアの人生)

2009年の映画『アゴラ』(邦題『アレクサンドリア』)。

この作品を観たことがある人もない人も、同様に大切なことが学べるような、そんな文章をめざして。今回は書いてみる。


アレクサンドリアは、カイロに次ぐエジプトの都市だ。

現代のアレクサンドリア

アレクサンドロス3世(アレクサンダー大王)が遠征行の途中、オリエントの各地に建設していたギリシア風都市の、第1号だった。

古代アレクサンドリアには、各地から、学者や作家が集結していた。あらゆる分野の書物が集められた大きな図書館もあった。地中海貿易の中心地でもあった。

この映画は、そんなアレクサンドリアに生きた哲学者であり数学者であったヒュパティアという女性の、波乱万丈な人生を描いたものなのだ。


ヒュパティアは350年頃~370年頃に生まれた。

生まれた年さえ定かでないのか、と思うだろう。そうなのだ。彼女について、正しい情報であろうと思われることと、その逆のこと。注意して解説していくつもりだ。

彼女の父親は、アレクサンドリア図書館の最後の司書長だった。母親は不明。

そんな生い立ちであったため、ヒュパティアは幼少期から、多くの書物 = 知 にふれる機会があった。当時の一般の女性とは比べ物にならないほど、あっただろう。

有名な『アテナイの学堂』にもヒュパティアはいる。
左下の白い服の女性だ。

彼女の能力は、父親を含めた同時代の哲学者らを上まわっていた可能性がある。

これも可能性の域を出ない。ヒュパティアの生涯について最も詳細に記されているのは、ハッキリ言って、彼女の死に方である。

彼女の死は、非常にむごたらしいものだった。

415年に、ヒュパティアは殺害されたのだが。彼女を魔女だと主張していたキリスト教作家でさえ、正視しがたい残酷さ、とその惨状を表現した。おそらく、その頃の彼女は初老だった(一番若く推測すると40代半ばになるが)。

どうして、そんなことになってしまったのか。順を追って説明していく。


アレクサンドリアの様子を、彼女が生まれる前から見ていく。

アレクサンダー大王の死後。将軍プトレマイオス1世の統治により、アレクサンドリアは最盛期をむかえる。アテネに匹敵する、文化的で知的な都市へと発展。

アレクサンドリアには、多岐にわたる分野で、その当時最高の頭脳が集まっていた。


古代における博物館という言葉は、神殿をさす傾向があったが。図書館は現代と同様だった。

アレクサンドリア図書館は、古代世界の図書館の中で最大規模であった。プトレマイオス朝の統治者たちは、あらゆる知識をそこに収集しようとした。

前3世紀~前2世紀の間、大勢の影響力ある人物たちが、この図書館で研究をした。

たとえば。ユークリッドと(おそらく)ヘロンはアレクサンドリアの生まれであったし、アルキメデスはシチリア島の生まれだがアレクサンドリアで研究をしていた。

この動画の内容は、私が今回書きたいこととユークリッドとを、結んでくれている。

司書らも、著名なメンバーで構成されていた。プトレマイオス朝が終身任命し、高額の給与や免税を与えていた。


ヘレニズム文化などの「ヘレニズム」とは。

アレクサンドロス3世の東方遠征によって生じた、古代オリエントとギリシア文化が融合した様子のこと。時代区分として、アレクサンドロス3世の治世からプトレマイオス朝エジプト王国が滅亡するまでの、約300年間のこととも言える。

この最後の女王がクレオパトラ(クレオパトラ7世 )だった。

あえて、ヒュパティアと比較してみると。クレオパトラは、幾何学を学ぶ簡単な方法をユークリッドにたずね、学問には王道はないとたしなめられたという。(近道はないというのを王族に言うのに、センスのあるワード・チョイスだ。さすがだな)

プトレマイオス朝は、さまざまな理由から財産を浪費。ローマの資本家から莫大な借金をするはめに。急速に地中海へ進出していたローマは、その機を逃さず、エジプト地域にも介入した。

紀元前30年に、クレオパトラがローマの執政官アウグストゥスに敗れ、エジプトはローマ帝国の属州に。


この約400年後。(状況の変化などに関して、現代と同じ感覚で、数百年という年月を考えるべきではない)

ヒュパティアは、アレクサンドリアの大学で、尊敬される学者としての人生をおくっていた。

具体的には、新プラトン主義・哲学・数学・天文学。それらの専門家として、彼女は知られていた。典型的なギリシャの宗教についても語っていた。

宗教的に・文化的にますます変化しつつあった都市において、彼女はだんだんと “異教徒になっていった”。


彼女の博学さは人から人へ伝わり続け、さまざまな地域から生徒たちがやってくるように。

後の記録によると。「本来は男性のものである学者の衣服をまとった女性が、街の中心部に姿を現した。プラトンやアリストテレスについて聞こうとする者たちの、人だかりができた」

ヒュパティアは、本人の好むと好まざるとにかかわらず、市政へ関わることに。

事変の荒波が彼女を飲みこもうとしていた。


オレステス。ローマ帝国エジプト総督。

ひき続き、映画内のビジュアルを使う。

キュリロス。アレクサンドリアのキリスト教勢力のトップ。

この2者は激しく対立することに。

オレステスが尊敬し懇意にしていたのが、ヒュパティアだった。

彼が教会へ来なくなったのは彼女の影響に違いない、と周囲から思われた。実際、そうだったのだろう。彼は、彼女のもとにさらに多くの聴衆を集めようとした。


キリスト教勢力が、アレクサンドリアを占めていくにつれて。保身のためにキリスト教に改宗する人々も、増えていった。

ヒュパティアはそうしなかった。

弟子らは、改宗しか先生の身を守る術はないと感じ、ヒュパティアに強く改宗をうながした。

「2つのものが3つめと等しければ、3つのものは互いに等しい」ヒュパティアが、私たちは志を同じくする者という主旨の話をしても。

「私たちはクリスチャンだ。ならば、あなたもまたクリスチャンだ」2人の教え子が、こう返す描写。話が成り立っていないのだが。むしろ、必死さが伝わってくる。


このようなやりとりは、実際にあったのではないかと思う。

聡い弟子たちが、彼女の言わんとすること(彼女の信念)を理解していなかったわけがない。

「あなたは私たちを怒らせる」
「砂漠に引っ越せばいい。あなたを不快にさせることは何も聞こえなくなる」

また、実際にあった会話かはわからないが。社会が多様化していく中で、似たような議論を交わしていたとして。彼らは賢い。過渡期には摩擦がつきものであることを、理解している。

現代人にも、この問題を解決できていない個人は、たくさんいるね。私も気をつけねば。


話を戻す。

今はキリスト教徒になっておきましょうよ先生!この急場をしのがなければ!といったところか。

相当、切迫した状況だったと推測される。

Synesios, you don't question what you believe. Or cannot. I must.

シュネシオス、あなたは、自分の信じるものを疑わない。疑うことができない。私は、疑わなければならない。

先生、もういいよ……。そんなに気高くなくてもいいから、生き残ってよ……。彼女を本当に慕っていた人ほど、こんなふうに願ったのではないか。

ソクラテスの状況と似ている。

この回で、私はほぼ似たような考察をした。

ちなみに、オレステスは改宗したよ。ヒュパティアだけだ。彼女はきっと、死後、夜空に輝く星座の仲間入りでもしたんだよ。


想定し得る中で、最悪の結果になってしまった。

ヒュパティアは、ギリシャの神々・合理的な自然法則・教義から自由になることもできる人間を信じていたために、殺害された。いや、惨殺された。

「知識と真実の擁護者」は「新興宗教の狂信者ら」によって、文字通り、引き裂かれた。


「考えるというあなたの権利を保有しなさい。誤ったことを考えるとしても、全く考えないことよりはいいのだから」「真実として迷信を教えることは、とても恐ろしいこと」

このようなヒュパティアの発言が、当時のキリスト教徒(の一部)を激怒させたという。

たしかに。ヒュパティアの哲学は、たとえば他の新プラトン主義の教義と比べて、学術的であった。より神秘主義を廃しがちではあったが。


全く何も信じない人だと言われ、「私は哲学を信じている」と答えたというヒュパティア。確たる証拠が残っているわけでもなく、架空の発言かもしれないが。

哲学には、宗教的な要素も論理的な要素もあるーーという考慮のもとに、解釈されるべきではないか。

ヒュパティアは、より個人的かつ精神的な方法で、宗教性を維持していたにすぎない。私はそのように思う。

事実、彼女のアイディアは、異教徒(キリスト教徒やユダヤ人など)も魅了していた。キリスト教の著述家らも、彼女が非常に知的な女性であったことに、同意していた。


宗教的ないざこざは増すばかり。民衆は相当ピリピリしていたことだろう。総督と司教との和解を妨げたのは彼女だと、中傷的な噂も流れていた。

張りつめたものは、ほんの少し何かがあれば、容易くはじける。


狂ってしまった一部のキリスト教徒が、ヒュパティアを馬車から引きずりおろし、頭皮をつかんで教会に引っぱりこみ、全裸にし、鋭利なもので体を切り刻み、手足を切断し、遺体を炎に投げ入れた(当然、火葬とはわけが違う)。

「黒衣をまとった500人の十字架の兵士たちが、黒いハリケーンのようにやってきた。

祭壇と十字架のすぐそばで、カキの殻で彼女の骨から震える肉を削りとった。

教会の大理石の床は、彼女の温かい血で染まった。祭壇や十字架も、彼女の手足が激しく引き裂かれたためにびしょ濡れになった。

修道士たちの手には、筆舌に尽くしがたい光景が広がっていた。

殺人者たちの狂信的な憎悪の餌食となった切断された遺体は、その後、炎に投げこまれた」

むごすぎる。


生徒も発狂しちゃうだろ。大好きな先生が、見るも無惨な姿に変わり果てて。

彼女が教えていたアレクサンドリア大学も、焼きはらわれたのもあり。アレクサンドリアから、知識人や芸術家が大量に流出していった。

明日は我が身で、一目散に逃げただろうね。勉強がんばってた人ほどね。

アレクサンドリアは、偉大な文化の中心地としての地位を完全に失った。

それでも、地中海交易の重要拠点なのは変わらない。何度衰退しても、貿易都市としてはいつも復活している。

これは、古代の世界7不思議の1つ「アレクサンドリアの灯台」をイメージした画像だが。今回はこの話はしない。

この映画には、歴史的に不正確な点がいくつかある。ドラマチックな展開にするために、脚色も加えられている。

しかし。キリスト教コミュニティーの描写は、舞台となった時代としては、正確である。

初期キリスト教の反知性主義的姿勢は、初期キリスト教作家たち自身によって、じゅうぶんに証明されている。「信仰があれば、それ以上の信仰は望まない」という彼らの主張は、学問を全面的に拒絶していたことを表している。

繰り返す。初期キリスト教徒を現代的な意味で「無知」と描写することは、間違いではない。

識字能力のある者が知にアクセスできることを積極的に拒否する集団は、たしかに存在した。


キリストがいつの日か再臨すると。そう信じていたためだ。

キリストが人類に新しいパラダイムを与えてくれる。したがって、書物や知的思考は必要ないと。

マタイ28:1-6も、マルコ16:1-7も、ルカ24:1-12も、ヨハネ20:1-12も。キリストの墓は3日後には空っぽになっていたと言う。そして、天使がキリストの復活を告げてきたと言う。

やるせない。


第1テモテ2章11-12節「女は静かにして、よく従う心をもって教えを受けなさい。私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ静かにしていなさい」

あなたはこれをどう思う。

ギョッとするなとは言わない。不快感を飼い慣らすことができる/放っておくことができる人も、問題ない。

1秒で怒髪天を衝き、その後調べてみもせず、怒りをあらわにする人。そのような人は、今回紹介した話のどのキャラクターに自分が当てはまるのか、考えてみて。

私は、どんな背景でこんな表現になったのか、などと好奇心が先に立つタイプだ。結果として、論理性が高い人間や道徳的に優れた人間になりやすいだけで。原点は、知りたいという欲求だ。


他力本願で申し訳ないが。

これに関する良質な動画はいくつもある。私の思考方法もこうだ。ぜひ、聞いてみてほしい。

読み手の問題ーー本当の聖書信仰とはこうなんだーー。仰る通りだと思う。素晴らしい。


老若男女に勉強することが許されている、時代と国に生まれたことに。心から感謝しつつ。

ヒュパティアにも。大切なことを教えてくれてありがとう、と言いたい。無駄にしないように、生きるよ。