Great Start and Great Goal
最も基本的であると同時に最も理解されていない生物学上の問題は、生命の起源についてだ。
大きくわけて
Abiogenesis 無生物起源説
35億年以上前の地球上で、生命が無生物(単純な有機化合物など)から自然に発生したという説。
Biogenesis 生物発生説
生命は他の生命の繁殖から発生したという説。
約2000年前。人々は、さまざまなものが自然発生すると思っていた。理由は、ざっくりと言って、目に見えるものをストレートに信じていたからだ。
こんな感じ。
春になると、いくつかの地域で洪水が発生するが。その後の土壌では作物がよく育つし、多くの水生生物も生まれているように見える。はじめは海洋生物もよい土壌から生まれたに違いない。
このような解釈の中では、生物は「自然発生」していることになる。
フランスの生物学者・微生物学者・化学者のパスツールが、全ての生物は他の生物から発生し、微細な細胞で構成されていることを証明した。
パスツールの素晴らしさは、成果を研究室内にとどめないところにある。彼は、常に、自分の研究で実社会をよくしようとしていた。
発酵に関する研究から、ワインの「病気」は不要な微生物によるものであり、60℃~100℃に加熱することで対処できると提案した。
火入れによる殺菌方法は、パスツールにちなんで、パスチュアリゼーションとも呼ばれている。
1489年に書かれたと推測される『御酒之日記』に示されているため、日本酒にはすでに火入れが行われていたが。
酵母が糖分を代謝して、アルコールと二酸化炭素に分解する。= 発酵。
美味しいワインをつくるには、酵母の数をコントロールして安定させる必要がある。つまり、ほどよく殺菌しなければならない。
今のワイナリーの多くは、火入れを採用していない。(長期)熟成に不可欠な酵母まで失ってしまいかねないからだ。
極めて細かいフィルターでろ過して、除菌している。
動画をお借りする。「特に甘口に、菌が残っていると。糖分を食べて再発酵……菌体汚染してしまう……リスクが高い。よって、細かいものを使う。0.45マイクロとか」とり除くのは菌なのだから、マイクロ単位になるのはわかるが。すごい。
ちなみに。熱処理もろ過もしないのが、「生ワイン」や「生酒」だ。改めて調べずに言うが。酵母が活性化しない温度での管理が、必須なはず。
分野は異なれど。デカルトも言っていた。「無からは何も生まれない」
いつも私の文章を読んでくれている人は、ここからの流れが嫌いではないはず。笑
(私は、人間の信じる力を最高にリスペクトしている。信念のない人をあまり好かない。かつ、宗教は非常におもろい!)
「あなたがたは、7日間、種を入れぬパンを食べなければならない。種を入れたパンを食べる人は皆、イスラエルから断たれるであろう」
イスラエルから断たれるのパワー・ワードに、酵母影響力もちすぎぃと笑えるだろう。私は笑う。『出エジプト記』を参考にして、カトリックでは、酵母の入ったパン(聖体)を儀式で使用しない。
正教会では、酵母の入ったパンを使う。『レビ記』にもとづいて。
「感謝のための酬恩祭の犠牲にあわせ、種を入れたパンを供え物としてささげなければならない」
約2500年前。アリストテレスは、糖を含む液体をしばらく放置するとアルコールになるのは、「活力」が原因だとした。
彼は、ありとあらゆる生き物を目的に向かって駆り立てる力がある(生命力のような感じ)と、そのように言いたかったのだ。微生物の存在をなんとなくわかっていたーーなどということがあれば、とても科学的な話になるのだが。紀元前だからね、そうではなかった。
したがって、こういうことになる。
ジュースが酒になるのは、ジュースが酒になろうという目的意識をもち、生命力を発揮した結果。いいね。嫌いじゃないよ。笑
1117年に書かれた中国の酒造書には、「乾酵」や「合酵」という言葉が出てくる。それらが表す作業から、発酵をアバウトに理解していたことが読みとれる。酵母という微生物が働いていることをつかんでいたりは、していなかったが。
冒頭に書いた内容を繰り返す。「約2000年前。人々は、さまざまなものが自然発生すると思っていた。理由は、ざっくりと言って、目に見えるものをストレートに信じていたからだ」
発酵に酵母が関わっていることを最初に発見したのは、17世紀のオランダ人の学者だった。だが。当時、彼の話は誰にも理解されなかった。顕微鏡の普及していない時代だ。無理もない。
その150年後、ドイツ人の学者がより確信に近づき。
1858年に、フランスのパスツールがそれを証明した。
自然発生するんだという考え方は、19世紀になって、ようやく打ち消されたのだ。
パスツールの偉業は続く。
全ての病は、罹患した個人の内部状態・性質の弱さ・不均衡から生じるという考えが、主流だった時代があった。
「病は気から」という言葉には、特有の意味あいもあるのだし。そんなことない!!と過剰反応する必要はないが。これはさすがに、真実とはほど遠い。
彼は細菌説を主張し続けた。
パスツールは脳卒中を起こし、身体の一部が麻痺してしまったのだが。研究をあきらめなかった。政府は彼を全面的にサポート。新しい研究室を建設し、年金と特別報酬を与えた。
世界最古のワクチンは天然痘のワクチンで。開発者は英国のエドワード・ジェンナーだが。
3つの細菌(家禽コレラ・炭疽菌・豚丹毒)のワクチンと1つのウィルス(狂犬病)のワクチンを開発し、ワクチンという概念を世に定着させたのは、パスツールだ。
以下、パスツールの言葉を紹介する。
“Messieurs, c'est les microbes qui auron le dernier mot.”
「諸君、最後に語るのは微生物だ」
次のは長いから英語にさせて。
“Whatever your career may be, do not let yourselves become tainted by a deprecating and barren scepticism, do not let yourselves be discouraged by the sadness of certain hours which pass over nations. Live in the serene peace of laboratories and libraries. Say to yourselves first ' What have I done for my instruction? ' and , as you gradually advance, 'What have I done for my country?' until the time comes when you may have the immense happiness of thinking that you have contributed in some way to the progress and to the good of humanity. But, whether our efforts are or not favoured by life, let us be able to say, when we come near the great goal, ' I have done what I could. ' ”
あなたがどのようなキャリアを歩むにせよ。厭世的で不毛な懐疑主義に染まってはならないし、国家を襲う一時的な悲しみに落胆してはならない。研究室や図書館など、澄みわたった静寂の中ですごしなさい。まず、自分自身にこう問う。「私は私を育てるために、何かしているだろうか」だんだん成長してきた自分には、こう問う。「私は私の国のために、何かしているだろうか」人類の進歩と善良さのために、何らかの形で貢献できていることに、この上ない幸福を感じるようになるまで。その努力が人生から祝福されようとされまいと、私たちが偉大なゴールに近づいた時、「私は私にできることをやってきた」と言えるようにしよう。
「We」「The great goal」これを読むと再確認できる。彼が、自分の成しとげたことを手段や過程だととらえていることが。
何のって。みなまで書くのは好みじゃない。
Biosynthesis 生合成。生体が、その構成成分である生体分子をつくり出す。
多くの生物に共通している基本的な化合物を合成する経路は、一次代謝。特定の種や科に特有の化合物(ホルモンや毒素など)をつくり出す経路は、二次代謝。(ただし、両者の区分は必ずしも明確ではない)
基本的に。1つの化合物が生合成されるには、数多くの酵素が関わり多数の段階を踏む。
生合成が不可能な分子は、体外から栄養素としてとり入れなければならない。いわゆる、必須栄養素だ。
パスツールが証明してくれたように。生物は、空気中の塵粒子上の生物の細胞から発生するのであって。空気自体から発生するのではない。ないが。
無生物から生命への移行はある、と。多くの仮説が出されている。そのことはを私は否定する気がないどころか、素晴らしいことだと思っている。
世界中の有識者らによる「生命」の定義を、いたずらにカウントしてみたことがある。私調べで123種類あった。いいねと思った。
「愛」の定義をカウントし出したら、みんながそれを話してくれていて、一生数え終わらないかもしれないな。
落雷から生命が誕生した説。
およそ35億年前、地球上にはじめて生命が登場した時。有機体にリンをもたらす上で、落雷が重要な役割を果たした可能性があると。
リンは、DNA や RNA や ATP(生命体のエネルギー源)の他、細胞膜のような生体構成要素の形成にも欠かせない物質である。
前々回でもリンの話をした。
落雷が生み出した有機物質には、他の物質とともにタンパク質を形成するアミノ酸などの前駆体化合物が、含まれていたーー。元々、この可能性は複数の実験で示されていた。
だが。大きな疑問が1つ残っていた。
地球上の初期の生命体がリンを手に入れた方法。それがわからなかったのだ。
数十億年前の地球。生命体が使える水や二酸化炭素は大量にあったが。リンは、不溶性かつ非反応性の岩石の中に閉じこめられていた。要するに、リンは生命体にとって永久に手の届かないところにあった。有機体はこの要素をどうやって入手したのか。
これまでにあった説。
隕石が、シュライバーサイトという鉱物の形で、リンを地球にもたらしたのではないか。(化学式を見ると、鉄ニッケルリン化合物だ)シュライバーサイトは水に溶けると。それは、たしかに、生命体が利用しやすい。
しかし。35億年~45億年前、地球への隕石の衝突は急激に減っていたと推測されている。地球が生命を維持するには、リンを含んだシュライバーサイトは大量に必要なのに。それだけではない。隕石の衝突は、地球に届いたシュライバーサイトの大部分を気化させるほどの破壊力を有している。
最新の説。
地球上に落雷があった時に形成される、フルグライトという物質にも、シュライバーサイト = [(Fe,Ni)3P] ※3は本当は下付き数字 は含まれている。0.4%ほどだそう。フルグライトは水溶性でもある。
実験と計算から。数兆回の落雷があったならば、毎年最大11000kgのシュライバーサイトが生み出されていたことがわかった。仮に、これだけあったとすると。生命体の成長や生殖をうながすのにじゅうぶんなリンが、数十億年前に落雷によってもたらされていた、と考えることができる。
ちなみに。隕石の衝突から生まれると推測されるよりも、はるかに多い量だ。
もう少しだけ、フルグライトについて書くことにした。
Wiki にしれっと(?)「ニンジンのような見た目」とあることに、納得がいかない。どこにニンジンみがあると言うのだ。
完全にこっちやろ。
「JJK に出てくる指のような」と書きかえたい。(英語圏で呪術廻戦は JJK と言う。ジュジュツカ……舌かんじゃうからね)
これは、「すごいフルグライト見つかる!」と海外で話題になった画像なのだが。実際は、あるアーティストさんの作品。
生命は海中深くの熱水噴出孔で誕生した説。
この説は、静電気放電が生命の最初の化学反応をひき起こしたという考えに、異論を呈することになる。
まず、そのことから書く。
生命のエネルギー生産の中心にあるのは、生体膜を横切るイオン勾配である。
荷電粒子は、(生命にとって重要な)勾配や不平衡状態を形成するのではなく、均一に希釈される傾向がある。
……これ以上解説していってもいいのだが。すでに問題点が見られる。一旦だとしても、それをスルーして書き続けるのは無駄な気がする。
初期の生命体は今日見られるものと似ていたに違いないーーという想定の上で、この説は唱えられている。
約40億年前の世界は、私たちが住んでいる世界と非常に異なっていた。人間の想像する地獄など天国、無理ゲー of 無理ゲーという感じだった。
現在の生命とほとんど似ていない、「失敗した先駆者」が無数にいた可能性がある。出発点では、炭素以外の元素にもとづいていた可能性さえある。
宇宙全体の自然な傾向は、全てが分散し「何も秩序がない平衡」の状態へ向かうことであろうが。
いや、それはそれで素晴らしい。肉体から解放(?)され魂のみとなれば、そんな境界線のないレベルへ行くのかもしれない。
秩序ある構造を維持するには、生命が常にバランスを崩していることが大切なのだ。
バランスを欠いていることは、無秩序とは違う。レトリックではない。本当に違う。このことを拡大して考えていって、ダイバーシティーやボラリティーにつなげてもいいとさえ、私は思う。
前段のイオン勾配の話を思い出してほしい。もし、あれが小難しいければ。これだけを考えてみてくれてもいい。↓
分子の動きをひき起こし、細胞のエネルギーを生成する。
これで元の話に戻れば、まだ有意義かもしれない。
深海の熱水噴出孔は、現代の細胞と同じ種類のエネルギー利用機構をえなえた、複雑な有機分子を生成した可能性のある、唯一の既知の環境である。
地殻からのアルカリ性の流体が、より酸性の海水に向かって、噴出孔を上昇する。その動きは、全ての生きた細胞にエネルギーを与えるものとよく似た、陽子濃度差を生み出す。
原始細胞内の化学反応は、この陽子勾配によって駆動されたと。そういう説なのだ。
今まで信じられてきたことが、ある日何かが新しく発見されて、秒でくつがえる。分野によるが、そういうことが普通にある。
たしかなのは、過去から現在までの多くの学者らが、熱意をもって懸命に調べ続けてきてくれたということの方だ。
純粋な世界。人よりもプロとして。Professional idea, my dear, everyday life. 愛はエレクトリック。光り在れ。
宮沢賢治『春と修羅』