#蓮實重彥
型を壊す、型が壊れる
*はじめに
「ジャンルを壊す、ジャンルを崩す(言葉とイメージ・07)」の続きです。
今回は、藤枝静男と古井由吉が自分の小説をどのように壊していったか、その小説がどのように壊れていったかについて、私の考えを述べます。
ここで言う「壊す」と「壊れる」は悪い意味ではありません。詳しくは「ジャンルを壊す、ジャンルを崩す(言葉とイメージ・07)」をご覧願います。
小説は散文で書くものですが、散文
始まりと途中と終わりのあるものを、始まりと途中と終わりのないものとして読む(散文について・05)
違う連載の記事ですが、「「どこでもない空間、いつでもない時間」(「物に立たれて」を読む・08)」の続きとして書きます。
「壊れていたり崩れている文は眺めているしかない(散文について・01)」の続編でもあります。
*はじめに
みなさんは、ある種の短詩、たとえば俳句をどのように鑑賞なさっているでしょうか?
俳句であれば、五七五です。短いです。短いからこそ、できることがあるように思います
「どこでもない空間、いつでもない時間」(「物に立たれて」を読む・08)
*「転々とする、転がる、ころころ変わる(「物に立たれて」を読む・06)」
*「客「である」、客「になる」、客「を演じる」(「物に立たれて」を読む・07)」
古井由吉の『仮往生伝試文』にある「物に立たれて」という章を少しずつ読んでいきます。以下は古井由吉の作品の感想文などを集めたマガジンです。
*
引用にさいしては、古井由吉作の『仮往生伝試文』(講談社文芸文庫)を使用します。
日、月、明(「物に立たれて」を読む・03)
*「「物に立たれて」(「物に立たれて」を読む・01)」
*「月、日(「物に立たれて」を読む・02)」
古井由吉の『仮往生伝試文』にある「物に立たれて」という章を少しずつ読んでいきます。以下は古井由吉の作品の感想文などを集めたマガジンです。
*
引用にさいしては、古井由吉作の『仮往生伝試文』(講談社文芸文庫)を使用します。
*
まず、前回の記事をまとめます。
とりあえず仮面を裏返してみる(断片集)
今回も断片集です。見出しのある各文章は連想でつないであります。緩やかなつながりはありますが、断章としてお読みください。今後の記事のメモとして書きました。
看板、サイン、しるし
街を歩くと看板がやたら目に付きます。目に付くと言うよりも、こちらが無意識に探しているのかもしれません。無意識に物色しているとも言えそうです。
たぶん、そのようにできているのでしょう。看板は人の目を惹いてなんぼだと
蝶のように鳥のように(断片集)
今回の記事では、アスタリスク(*)ではじまる各文章を連想だけでつないでありますので――言葉やイメージを「掛ける」ことでつないでいくという意味です――、テーマに統一感がなく結びつきが緩く感じられると思います。
それぞれを独立した断片としてお読みください。
*
ない。ないから、そのないところに何かを掛ける――。
何かに、それとは別の何かを見る――。これが「何か」との出会い。遭
わける、はかる、わかる
本記事に収録した「同一視する「自由」、同一視する「不自由」」と「「鏡・時計・文字」という迷路」は、それぞれ加筆をして「鏡、時計、文字」というタイトルで新たな記事にしました。この二つの文章は以下のリンク先でお読みください。ご面倒をおかけします。申し訳ありません。(2024/02/27記)
*
今回の記事は、十部構成です。それぞれの文章は独立したものです。
どの文章も愛着のあるも
古井、ブロッホ、ムージル(その1)
古井由吉の小説と、小説についてのエッセイを読んでいると、古井が学生時代と大学教員時代に読みこんだドイツ語で書かれた作品を、古井が律儀になぞりながら創作していたような気がすることがあります。
また、古井が大学教員を辞めて作家となってから、ドイツ語で書かれた小説を日本語に翻訳したことが、古井の文章に大きな跡を残しているのではないかと感じることもあります。
小説についての古井のエッセイと、古井