「あいさつ」の恩恵
みなさん、こんばんは。綺羅です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
午前中は文章を「書く」、絵を「描く」という、「かくこと」をBGMを聴きながら集中してやっていました。
集中すると2時間ほどはあっという間に過ぎてしまいます。
就業していた時とは全然違い、今では「どうやって余分の時間を作ろうか?」と思案する毎日です。
私は記事を始める前に、必ず「あいさつ」を入れます。
メールでも、手紙でも、「名前、あいさつ」の順番に、最初の一文を飾ります。
私は「あいさつ」から、いろいろな恩恵を受けているのです。
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私の周りでは「あいさつ」があるのは、堅苦しいと言います。
これに対して、私は逆に「あいさつ」がある方が、会話に入りやすいし、安心するのです。
私自身、自分の記事は「自分の主張」とはいえ、人と「交流するきっかけ」にもなると考えているので、「あいさつ」から入っていきます。
顔が見えない文章での交流でも、緊張してしまうことがあるからです。
自分自身のために書いているものの、公開したその時点で、私以外の誰かの目に触れ、交流のきっかけになるのは事実です。
記事を基に交流できればいいけれど、記事を見てもらうのは、ものすごく緊張してしまう、この気持ちの差異に困惑していました。
そこで考えたのは「会って話すみたいに、あいさつを書く」ことでした。
あいさつを書くことで、自分の中で「書く(話す)緊張をほぐせる」からです。
「あいさつ」と書くから、堅苦しく感じるのかもしれないですが、私のイメージでは、相手に向かって、
「ねぇねぇ!」
「やっほー☆」
という、かけ声みたいな感覚です。
今までの記事に「あいさつ」は当たり前についていますが、この「あいさつ」を書くことに、揺れた時期もありました。
私は、noteをはじめて間もない頃に、周囲のユーザーさんが、タイトルの後、記事内容を急に書かれていることにびっくりしました。
今から思い返せば、「うんうん、びっくりしたよね。そうした表現方法も、あるんだよ。」と言って、自分を落ち着かせてあげたいのですが、当時はそうしたことを冷静に考えられないほど、書くことに圧倒されていたのです。
また、noteの使い方を、公式以外でチラリと見たところ「タイトルを書いたらすぐに本題に入る」「ダラダラ書かれている文章は読まれない」といったアドバイスを目にしました。
そのアドバイスとは全く逆の書き方でしか書けない・・・どうしよう、どうしよう・・・。
「タイトルを書いたら、すぐに内容を書けないといけないんだ・・・!」
という、思い込みに支配されていました。
そうして試しに、マニュアル通りに書こうとすると、書けないのです。
タイトルから急に記事内容に入る書き方を、こころもからだも嫌がるのです。
こころは『え、本気でそのスタイルで書くつもり?』と聞きつつも、自分が嫌がることを、無理矢理にしようとする自分自身にドン引きしていましたし、からだはキーボードを打つ作業を止めてしまうのでした。
確かに、ここに公開したら、他の人にも読んで欲しいという気持ちもありますが、その気持ちは「自分自身の方法を否定してまで、するようなものではない」と気づけました。
一番読んで欲しいのは「過去の自分」なのに、人に振り向いてもらうための記事をかけば、その時点でもう「自分」ではないのです。
過去の私が安心してこの記事を読むには、「あいさつ」が必要であり、その記事を実現できるのは、自分しかいません。
読んで欲しい誰かを一番に考えた結果、私には「あいさつ」が外せなくなったのです。
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ここからは、本当に”自己満足の域”なのですが、相手さんにコメントするのにも、あいさつをつけます。
本題に入る時に間を置くことで、コメントを読んでくださる相手さんにも、「ねぇねぇ!」「やっほー☆」のかけ声のニュアンスで、少し気持ちが楽になってくれればいいなと、思っています。
私がコメントを書いた時、みなさんすごくご親切で、丁寧な返信をくださいます。
コメントを送りたいと思った時に、既にたくさんのユーザーさんがコメントされていて、「もうこれだけたくさん会話されているから、今更送ったら、イラッとされるかもしれない・・・」と思うこともあるのです。
見る人によっては「考え過ぎだよ!」と、思われる人もいらっしゃるとは思うのですが、会話が続くと、楽しくとも嫌な気分であっても「疲れる」のは確かなのです。
ですので、せめて「あいさつだけでもできる相手」として、「気を楽にして話して欲しいな・・・」という希望です。
なので、極端な話ですが、コメントして「あいさつ」一つ返してくださるだけでも嬉しいのですが、ありがたいことに、感想や交流を持ってくださるので、いつも幸せに満たされている気持ちなのです。
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直接、対面で交流する場面でなると、「あいさつ」はほぼ無意識のレベルで取り込まれていますが、メールになると「あいさつ」がなくなり、急に用件の話に入っていく場面を、何度か見たことがあります。
「その感覚が悪い」ということではなく、文字でのやり取りになると「あいさつ」の頻度が急に下がることが、不思議だなぁと思うのです。
ですが、それはそれで構わないのです。
私があいさつをするのは、過去の自分に「かけ声」に気付いてもらって、ちょっとずつでも、「生きることに夢中」にさせたいからです。
人からの声を期待していた時は、自分の頭は常に「死にたい」とか「消えたい」という思考に支配されていました。
しかし「かけ声」は「死にたい」や「消えたい」と考えることからの「行動を起こすこと」を打ち消してくれたのです。
たった何文字かの言葉ですが、その言葉が「生」を帯びていると、自分の行動が「死から生」に向かうために、180度の影響が出るほどに、強力です。
あいさつは短い言葉ですが、その文字の中にたくさんの感情を詰め込んでいます。
親愛、興味、歓喜、親しみ、楽しさ、信頼、尊敬etc・・・
これらすべてを詰め込んだものの一つが「あいさつ」だと、思っています。
こうした「気持ち」をみなさんに伝えたいので、私はあいさつを続けます。
みなさん、いつもあいさつにお付き合いいただき、ありがとうございます!
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トップ画像は かくた#マンガ 様からお借りしました!
ありがとうございました。
みなさんからの、スキやコメントやフォローも、気持ちが暖かくなります!
この記事にお時間をいただき、ありがとうございます。
それでは、今日はここまでです。
みなさん、いいnote日和を。