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たおやかに輪をえがいて
人生も折り返しに入ってしまった
パートには行って社会とは
繋がっているだろうかの主婦
物語の主人公のようにやれば良いわけではないけれど
少し重い荷物は減らしていっても良いんだろう
今まで『大切なもの』だと
自分に思い込ませていた物事が
もうそうでもない事に気づき始めていて
でも長年気づかないようにしている自分
どこまで減らしてもまだ歩き進んでいけるのか
自信がなくなっているから手放せない
このところの『かぜまる』たち○
糸をぐるぐるしていって
どんな模様になっていくのかも作る楽しみ
単色で作っていっても
どのタイミングで糸を上にするのかしたにするのか
糸を変えてみるとか
いちばん最初に張る糸のバランスでも変化する
どこの位置から糸を通すのかでも変わったり
風に吹かれて旅するみたいに
たどり着く場所がわからないのは
わくわくする
表の到着してのお楽しみみたいなのとは違って
裏はどうする?
ここにこんなのあれば
くつろぐ居場所の大切さ
子供の頃から単独行動をする
(単に周りとペースが合わせられていない)
そんな感じなので
朝起きてから家事をしつつ時間を見つつ
『今日は出かけられそう』とか
『今日は気持ちを切り替えないと』とか
自分のタイミングや理由で
お気に入りの場所へ行って時間を過ごす
大阪から地元へ戻ってきた頃は
同級生は子育て真っ最中だったりして
なかなか時間も合わせにくい
ならやっぱり単独行動するしかない
最近は『お
52ヘルツのクジラたち
遅まきながら
『52ヘルツのクジラたち』を見た
本屋大賞も受賞しているので
原作を読まれている方も多いだろうし
私も読んでいる
自分がどうしても家族とうまく接せれなくなっていて
家族との関係性の物語は
それだけで見たり読んだりすることが多い
自分の思う事を外に伝えるのが苦手で
それでもなんとなく過ぎていっている間は
それを不便というほどにはとらえていないもので
ある日突然それがやってくるとい
今回の台風の迷走を見てる(気象図やけど)となんだかあっちへ行ってもこっちへ行っても嫌がられるからどうしたらええんか分からん。。。って気持ちがあるんじゃないかって思えてくる(ついつい擬人化したがる悪い癖です)
六月のぶりぶりぎっちょう
『八月の御所グラウンド』が直木賞を受賞してからのシリーズ第2弾
『ぶりぶりぎっちょう』ってなんぞや?
検索してみたらちゃんと言葉として存在しています
「造語やないんや〜」って
振振毬杖<ぶりぶりぎっちょう>
『文化遺産データベース』というところに
掲載されているものによると
<木製の槌(つち)をつけた杖で、木製の毬を相手の陣に打ち込む遊び。振々(ぶりぶり)毬杖ともいう。平安時代に童子の遊びと
つまらない住宅地のすべての家
人生って派手に行動しないと
なんだかもったいないのか
私が生まれてから育ってきた時代
田舎に生まれた事も合わさって
高校卒業して大阪に出るまでの
取り入れられる情報量は
令和の今と比べると少なかった
今は自分で望んでいなくても
情報が押し寄せてきてくれる
(もちろん積極的にセーブする方法はある)
半径数百メートルで暮らしてる
日々同じように繰り返してる
何にも起こらない退屈
そんな感じで暮