nhosans-works

小さなものたちが好きです ハンドメイドのアクセサリーを制作販売しています

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マガジン

  • 読書するのはやめられない

    子どもの頃から 文字を見ると読んでしまう 物語だからとかでもなく 文字を目で追う (文字から生まれたのか?) ドライアイがしんどくなって さらに老眼も追加されて 読書量は減ったけど 気持ちは読みたいまま

  • まるシリーズ

    ビーズアクセサリーをメインにアクセサリーを製作販売しています  製作しているもので少しづつ形を変えたりしながら 自分の中でシリーズのように続けているデザインのものがあります 『maruiro』というのを手にしてモチーフを作り始めてから 自分の中でもその時々の感じが出て楽しく 10年くらい続けているものです 自分だけの理由でもなく変化は必要になってしまったり この数年はどんなにしていくかをあれこれやってきて ぼちぼち方向が決まりつつあるので その経過を記録しています

  • つれづれ

    その時々に思った事感じたことをつづっています

  • アクセサリーを作る、その周辺

    ぼちぼちなペースでアクセサリー作りをしています 作ったものやその周辺のことを ぼちぼち書いてみます

  • 修理したりリメイクしたり

    気に入っているアクセサリーが ちょっとだけ壊れてしまったりしても なかなか処分してしまう気持ちにならない事も多いと思います 少しだけ手を入れて修理をしたり 全く違う形で使えるようにしたり それでもまだそばにいて欲しい という気持ちを 少しでも手伝えるようにと 思っています

最近の記事

  • 固定された記事

しばりのあるほうが続けやすいかと思ったのですが自分の生活サイクルだとそんなに大きな話題もないので日々の色々を書いていったほうが良さそうかな

    • たおやかに輪をえがいて

      人生も折り返しに入ってしまった パートには行って社会とは 繋がっているだろうかの主婦 物語の主人公のようにやれば良いわけではないけれど 少し重い荷物は減らしていっても良いんだろう 今まで『大切なもの』だと 自分に思い込ませていた物事が もうそうでもない事に気づき始めていて でも長年気づかないようにしている自分 どこまで減らしてもまだ歩き進んでいけるのか 自信がなくなっているから手放せない でも意外に手放した方が 身軽に歩き続けていけるのかもしれない そう すっと思え

      • 人魚の眠る家

        ずいぶん以前の読んだので 細かい内容の事は欠けてしまっていますが 当事者になったとしたら狂気な事も当たり前なのか 距離を置いてみると狂気である 自分の子供が死んでしまうかもしれない状況 それをどんな形でも生きていて欲しい そういう風に思ってしまうのは きっと多いのではないのでしょうか? 疑問符付きなのは 私自身には子供がいないので 絶対にどのような心理状態になるのかは分かりません 日頃からも できるだけ当事者の目線や気持ちに立って 考えて感じようとはしていても 「子供がい

        • このところの『かぜまる』たち○

          糸をぐるぐるしていって どんな模様になっていくのかも作る楽しみ 単色で作っていっても どのタイミングで糸を上にするのかしたにするのか 糸を変えてみるとか いちばん最初に張る糸のバランスでも変化する どこの位置から糸を通すのかでも変わったり 風に吹かれて旅するみたいに たどり着く場所がわからないのは わくわくする 表の到着してのお楽しみみたいなのとは違って 裏はどうする? ここにこんなのあればちょっと『うふっ』ってするかも ちょっとずつ楽しんでみる それでもあまり考え過ぎ

        • 固定された記事

        しばりのあるほうが続けやすいかと思ったのですが自分の生活サイクルだとそんなに大きな話題もないので日々の色々を書いていったほうが良さそうかな

        マガジン

        • 読書するのはやめられない
          15本
        • まるシリーズ
          5本
        • つれづれ
          12本
        • アクセサリーを作る、その周辺
          2本
        • 修理したりリメイクしたり
          3本

        記事

          くつろぐ居場所の大切さ

          子供の頃から単独行動をする (単に周りとペースが合わせられていない) そんな感じなので 朝起きてから家事をしつつ時間を見つつ 『今日は出かけられそう』とか 『今日は気持ちを切り替えないと』とか 自分のタイミングや理由で お気に入りの場所へ行って時間を過ごす 大阪から地元へ戻ってきた頃は 同級生は子育て真っ最中だったりして なかなか時間も合わせにくい ならやっぱり単独行動するしかない 最近は『おひとりさま』は田舎でも違和感ないけれど そのころはなかなかひとりで行くと肩身がせ

          くつろぐ居場所の大切さ

          京都祇園祭後祭は終わり頃に雷雨があって『道真様が怒った?』(祇園祭に関係ないか?)そんなに思ったりしつつの思ったりしつつの高速道路走っている時の空の雲がなかなか複雑な感じで京都はこの日何か魔がさしていたのか飛び交っていたのかと。。。そんな夏の思い出

          京都祇園祭後祭は終わり頃に雷雨があって『道真様が怒った?』(祇園祭に関係ないか?)そんなに思ったりしつつの思ったりしつつの高速道路走っている時の空の雲がなかなか複雑な感じで京都はこの日何か魔がさしていたのか飛び交っていたのかと。。。そんな夏の思い出

          広くて深い海の中へ

          15年?もっと? ずいぶん昔に屋外イベントに出かけた時に どうしても何度も会場をくるくるしては この作家さんの作品を見に行くを繰り返し とうとう買ってしまった 小さな小さな空間に広くて深い空間がある『蜻蛉玉』 元々ガラスのものが好き 触ると冷たいのに温かく感じる 実際に作られるときは 高温でガラスを溶かしている という事は知っているけれど どうしたらこの世界を作れるんだろう いつも目に見えるところに置いてあって 毎日見ている 久しぶりにその作家さんの事を ネットで検索し

          広くて深い海の中へ

          『まぬけなこよみ』 エッセイだけども物語のような

          津村記久子の作品が好きというかご本人が好きやと思う (たぶん)芥川賞の受賞のインタビューで話されていた事が なんとなく自分にも似ている傾向があるなー そういう考え方するの好きかも となんか勝手に親しみがあった まあほんま勝手な 別にストーカーとかレベルで 自分と同一視したりするわけではないので 図書館に行った時にちょうど見かけたりすると 「私、津村記久子の作品好きなんよなー」 そう心の中でつぶやいてから読む まあ日頃から津村記久子さんの事を 考え続けていたり思い続けてい

          『まぬけなこよみ』 エッセイだけども物語のような

          52ヘルツのクジラたち

          遅まきながら 『52ヘルツのクジラたち』を見た 本屋大賞も受賞しているので 原作を読まれている方も多いだろうし 私も読んでいる 自分がどうしても家族とうまく接せれなくなっていて 家族との関係性の物語は それだけで見たり読んだりすることが多い 自分の思う事を外に伝えるのが苦手で それでもなんとなく過ぎていっている間は それを不便というほどにはとらえていないもので ある日突然それがやってくるという感じ 他人からはじかれたことの方の自覚の方が先で でもそれはなんだかんだで逃

          52ヘルツのクジラたち

          シンプルで小さいもの

          小さいものが好きで 子供の頃から手を動かすことが好きで 小学生の頃にはフェルトでモチーフ作ったり 刺繍やリリアン編みしたりの適当な手芸をやっていた 誰かに教えてもらうとかでもなく 本を見たりなんとなく適当にやっていた 絵を描くのも好きだったし 母親が自分がやれなかったという 親が子に想いをのせる オルガンやエレクトーン教室も結構楽しくやっていた 音楽教室は転校したのでやめる事になったけれど それでも楽器の演奏するのは嫌いになったわけでもなかった チマチマとマイワールドの

          シンプルで小さいもの

          今回の台風の迷走を見てる(気象図やけど)となんだかあっちへ行ってもこっちへ行っても嫌がられるからどうしたらええんか分からん。。。って気持ちがあるんじゃないかって思えてくる(ついつい擬人化したがる悪い癖です)

          今回の台風の迷走を見てる(気象図やけど)となんだかあっちへ行ってもこっちへ行っても嫌がられるからどうしたらええんか分からん。。。って気持ちがあるんじゃないかって思えてくる(ついつい擬人化したがる悪い癖です)

          六月のぶりぶりぎっちょう

          『八月の御所グラウンド』が直木賞を受賞してからのシリーズ第2弾 『ぶりぶりぎっちょう』ってなんぞや? 検索してみたらちゃんと言葉として存在しています 「造語やないんや〜」って 振振毬杖<ぶりぶりぎっちょう> 『文化遺産データベース』というところに 掲載されているものによると <木製の槌(つち)をつけた杖で、木製の毬を相手の陣に打ち込む遊び。振々(ぶりぶり)毬杖ともいう。平安時代に童子の遊びとして始まり、のちに庶民の間に広まった。> と書かれていました 物語が2篇 『清

          六月のぶりぶりぎっちょう

          星を編む

          『汝、星のごとく』 を読んだ時に思った事を書いた分にも書きましたが 続編であるのを知らずにこちらの方から読んだ なんとなく説明が少ない気もするけど 不足でもないから内容も分かるしと思いつつも 読み進めているうちに それぞれの人物の事をもっと知りたい どんなふうに生きてきているのか (生きて亡くなったのか) それは多分内容が分かっても それぞれの人生の物語が足りていなかったんだと 『汝、星のごとく』を読んで分かった そして 私は自身がなかなか強くなれない そう思って今まで生

          汝、星のごとく

          実は先に続編を読んでしまった なのでこちらの物語の中では 続編では亡くなった人が生きて行動している どう成長して 何を感じて 喜んで傷ついて そういう物語が綴られていた 人は どんな人でも 外から見ているだけでは分からない そんなたくさんのモノをかかえて 生きているのだろう 作品を逆から読んでも楽しんで読めた 分からなくても読めていた それぞれの人の物語に 彩りや深みが足されていった感じで 家族とか身内とかに対して うまく立ち回れないなら 今でも さらに今だから 生

          汝、星のごとく

          方舟を燃やす

          何を信じて生きていきますか 主人公2人の人生を その時々の世の中に起こった物事と その人の人間関係から書かれています 男性の主人公の方が年齢的に近いので 世の中で起こった事に対して 感じる気持ちが自分にも分かりやすい気がした 私のこれまでの生きてきている中 世の中で起こった事件や災害 ある程度自身の中で そこそこ受け止めて受け入れてこれているのは 阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件 震災発生時に大阪在住だったので 少しだけですが被災しました 婚約をして大阪に戻ってすぐに

          方舟を燃やす

          つまらない住宅地のすべての家

          人生って派手に行動しないと なんだかもったいないのか 私が生まれてから育ってきた時代 田舎に生まれた事も合わさって 高校卒業して大阪に出るまでの 取り入れられる情報量は 令和の今と比べると少なかった 今は自分で望んでいなくても 情報が押し寄せてきてくれる (もちろん積極的にセーブする方法はある) 半径数百メートルで暮らしてる 日々同じように繰り返してる 何にも起こらない退屈 そんな感じで暮らしていたのに すぐ側にあった知らなかった事 それが誰かの人生を 大きく変えてし

          つまらない住宅地のすべての家