人魚の眠る家
ずいぶん以前の読んだので
細かい内容の事は欠けてしまっていますが
当事者になったとしたら狂気な事も当たり前なのか
距離を置いてみると狂気である
自分の子供が死んでしまうかもしれない状況
それをどんな形でも生きていて欲しい
そういう風に思ってしまうのは
きっと多いのではないのでしょうか?
疑問符付きなのは
私自身には子供がいないので
絶対にどのような心理状態になるのかは分かりません
日頃からも
できるだけ当事者の目線や気持ちに立って
考えて感じようとはしていても
「子供がいない人には分からない」というように
「〇〇の人には分からない」
という言葉は簡単に投げかけられます
たぶんいるとかいないとかそれだけではなく
大抵の自分と自分以外は分かる事はできないのだと思います
分かった気になるか分かってくれてる気になるくらいしか
原作は東野圭吾作品
映画化もされていて
映像になるとより狂気な気もするけれど
自分の気持ちをそれなりに平静にしようという反応か
あまりにも喜劇に見えてきたりする瞬間も
命の重さは人それぞれだし
その時代やその環境でも重くなったり軽くなったり
『もし』という言葉が付けば
それを追い求めてしまい果てが見えない
今の自分は
人間にはキリがあるというのに
ある程度気持ちが安心しているけれど
何か大きなことがあったらひっくり返るのかもしれない