『小栗虫太郎ワンダーランド』 : 小栗虫太郎的〈思考〉
書評:紀田順一郎編『小栗虫太郎ワンダーランド』(沖積社・1990年)
本書は、『黒死館殺人事件』で知られるミステリ作家・小栗虫太郎についての、1990年に刊行された読本である。
雑誌サイズのB5版・全114ページの薄目の冊子だが、それまで論じられることの少なかった小栗虫太郎について、既発表の目ぼしい解説文を収録すると同時に、書き下ろしの評論やエッセイ、アンケート、対談などを、小栗の単行本未収録の掌編小説やエッセイとともに収めている。
本書に「目次」は次のとおり。
(1〜3)は口絵で、(4)はそれに添えられたもの。
(5〜7)(19)(20)は、既出稿の再録。
それ以外のものが、本書のオリジナルだが、全体に短いものであることが分かろう。
(18)の「対談」が最も長く、内容的にも読み応えがあった。
以上のような内容のため、全体に内容の薄さは否めない。
澁澤龍彦の『黒死館殺人事件』解説文は、読みごたえはあるものの、澁澤ファンの私の場合、澁澤の著書で目にする機会が多いため、新味には欠けた。一方、書き下ろしの「作品論」「作家論」は、枚数の問題もあって、全体に物足りなく、数合わせの感すら否めない。
まただからこそ、紀田順一郎と松山俊太郎という、ともに博識で知られる両雄の対談は、ともすると軽くなりがちな「対談」形式とはいえ、相応の読み応えがあったのだ。
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私は本書を、刊行時に購っている。だが、これまでも何度か書いているように、当時の私は、他者の意見に影響されず「自分の目だけで、作品と向き合いたい」という気持ちが強かったので、この手の本は「資料」として買ってはおいたものの、ほぼ読んでいない。
例えば、同様の事例として、私は、中井英夫の著作は(私家版などは除き)すべて所蔵しているし、全集の類いも各版所蔵しており、小説やエッセイ、評論はほぼすべて読んでいるものの、いまだに「日記」の類いは、ほとんど読んでいない。
今ではもう「読んでもいいかな」と思うのだが、長らくは、惚れ込んだ小説の「舞台裏」を、積極的に知りたいとは思わず、そうした点で私は「小説至上主義」の傾向が強かったから、「いずれは読もう」と思って買ってはおいたそうしたものを後回しにしているうちに、今に至ってしまったのである。
で、今回は、たまたま「ヤフオク」で本書が目に止まったので、「そろそろ読もうか」と思って再入手し、またもや積読の山に埋もれさせないうちに、さっさと読んだ、という次第である。
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小栗虫太郎といえば、まず『黒死館殺人事件』である。
夢野久作の『ドグラ・マグラ』、中井英夫の『虚無への供物』との3作ワンセットで、「三大奇書」としても名高い作品だ。
もちろん、小栗ファンであっても、『黒死館殺人事件』ではなく、別の小栗作品が好きだという人はいる。ましてや、小栗ファンでなければ「『黒死館殺人事件』の、どこが面白いのか」と真面目に主張する人は「多い」し、むしろその意味で、秘境冒険小説『人外魔境』などの方が、当たり前に面白いという人も少なくない。
だが、小栗虫太郎ファンに限定するならば、やはり小栗の代表作は『黒死館殺人事件』であり、同作は小栗作品の中でも抜きん出て「別格」の作品だとの評価が「一般的」なものだといえよう。こうした見地の立つファンの代表が、澁澤龍彦であり、私もこの「一般的な小栗虫太郎ファン」の一人である。
もちろん、「小栗虫太郎ファンの中で、一般的(普通)」だというのは、「世間」の中では「特殊な趣味の持ち主」だということになるのだが、澁澤龍彦が「こちら側の人間」であったことで、ずいぶん(対世間的に)救われていると言えるだろう。
まあ、冗談はさておき、人がなんと言おうと思おうと、私は『黒死館殺人事件』のファンであり、そうした趣味においての、小栗虫太郎ファンである。
『人外魔境』も、伝奇ミステリの『二十世紀鐡假面』も好きだし、『黒死館殺人事件』と同じ、名探偵法水麟太郎ものの、短編「聖アレキセイ寺院の惨劇」や「失楽園殺人事件」「後光殺人事件」などももちろん好きだし、法水ものではない「白蟻」などの作品も好きである。一一だが、やはり『黒死館殺人事件』は、突出した代表作だと思っている。
で、それほど大好きな『黒死館殺人事件』なのだが、いまさら論じるとなると、何を書いて良いやら困ってしまう。
本書『小栗虫太郎ワンダーランド』所収の書き下ろし評論を読んでも、「まあまあだな」とか「なにを今更」とか「つまんねえことを書いてるな」などと思ってしまうくらいなので、よほど「新奇な説」でも思い浮かばないかぎり、うかつに、小栗虫太郎論や『黒死館殺人事件』論を書こうとは思えない。
言い換えれば「当たり前のことを、もったいをつけて当たり前に書く」というのは、小栗虫太郎ファンのすることではないと、そう思うのである。
小栗虫太郎ファンなのであれば、多少なりとも「当たり前でないことを、当たり前であるかのように書いて、それをそれなりに読者に納得させる」といったことをしなければならないと、私はそう感じているのだ。
だから、当たり前の以上の(正統派的に優れた)小栗虫太郎論や『黒死館殺人事件』論が書けない以上、私は「法水麟太郎」のごとき「絡め手」でいこうと考えた。
どうするのかといえば、本書で唯一おもしろかった「紀田順一郎・松山俊太郎対談」をネタにして、「私がどうして、小栗虫太郎ファンなのか」を、自己分析的に語るのである。それが、他に類例を見ない、ひとつの「小栗虫太郎論」になるはずだと踏んだのだ。
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小栗虫太郎といえば、その「博識」を生かした「独特のロジック」で、読者を幻惑し圧倒する作風で知られている。
そして、その「特殊なロジック」を象徴する人物とは、もちろん『黒死館殺人事件』などに登場する名探偵・法水麟太郎なのだが、このような「特殊なロジック」を作中人物に語らしめた作家は、小栗虫太郎をおいて、他には一人としていない。
小栗虫太郎であり『黒死館殺人事件』といえば、その煌びやかな「ペダントリー(衒学)」で知られ、画数の多い難読漢語に外国語のカタカナ書きルビが振られた、黒々と禍々しい字面の版面が有名である。
京極夏彦の持論ではないが、まさに「版面が呪う」という感じなのだ。
しかしながら、だからと言って、これを「形式的に模倣」しても、小栗のような「特殊なロジック」を生むことはできない。
見た目が特徴的なために、それをそのまま模倣すれば、小栗のそれと同様の「効果」が得られるのではないかと、そう期待した後続の作家が何人かいたが、彼らは、小栗のエピゴーネンにすらなることができず、ことごとく「お遊びで、パスティーシュを書いてみました」といった程度の結果に終わったのである。
では、なぜこうなってしまうのだろうか?
それは、小栗虫太郎の「特殊なロジック」を生み出すものとは、「博識」でもなければ「個性的字面(版面)」でもないからだ。
それらは、小栗虫太郎の「個性的な感受性と思考パターン」の「結果」として生み出されたものであって、それが「原因(主体)」なのではない。
小栗の「個性的な感受性と思考パターン」つまり「特殊なロジック」の「反映」でしかないそうした「影」が、「個性的な感受性と思考パターン」つまり「独特のロジック」を生むことにはならない。「元」が無ければ、いくら「形態(結果)模写」をしたところで、それは、お遊びの「劣化コピー」にしか、なりようがないのである。
だから、私たちが注目しなければならないのは、小栗の「表面的な特徴」である「博識」や「文体」ではない。重要なのは、そこに透かして見ることのできる「個性的な感受性と思考パターン」つまり「特殊独特のロジック」の方なのだ。
例えば、次に示すような、紀田や松山の指摘は、一見したところ、小栗の「弱点・欠点」を指摘しているように見えるのだけれども、そうではない。
逆に、小栗の「天才性」を指摘したものなのである。
この指摘は、何を意味しているのか。
曰く『ちょっと正確さを欠くところがある』『博識な知識を直感的に引用し、プロットに投入していくことに秀でてはいる』『いちいち論文を書くようにこまかく検討していない』『平井呈一さん』的。
それは、小栗虫太郎が「学者(研究者)」的な「堅実積み上げ」型ではなく、「直観飛躍」型だということである。
いちいち理詰めで正解を出してから、それをおもむろに提出するというのではなく、状況をパッと見て、その本質や勘所を直観的に掴み、その「結論」を、即座に提出するタイプだ、ということなのだ。
だから、その論理的な「飛躍」が、「説明不足の詰めの甘さ」に見えたり、「非論理的」に見えたりする。
しかし、天才型の小栗にしてみれば、退屈なルーチンを「自分もしなければならない」とは思えないのだ。
そういう「堅実でさえあれば、誰にでもできる、当たり前なこと」は、「そういうことしかできない人」がやればいいと、そう思っている。言うなれば「貴族趣味」だ。
だから『ちょっと正確さを欠くところがある』とか『いちいち論文を書くようにこまかく検討していない』ということになる。物事の「逐語訳」的なことは、「美的センスの無い学者」でもできることだから、「芸術家である自分は、そんなことしない」ということなのである。
ここで語られているのは、小栗虫太郎が、極端な「没入型」であり、言うなれば「巫女型」の人間で、その執筆手法は、「御筆先」型だということなのだ。
つまり、ひとつひとつ論理的に考えながら、手順を踏んで書いていくタイプではなく、その(作中)世界に没入して、バーッと一気に書いていく(筆写していく)タイプだということである(だからこそ、日頃の、身につく読書が重要になる)。
そして、それが「著者校正」の時ですらそうだから、細かいミスなどは「目に入らない」。
「著者校正」の時でさえ、小栗に見えているのは、「作中世界」であって、「字面版面」ではないのである。
これは、どういうことかというと、『何でも興味があ』る「博識」というのは、当然のことながら「細部が詰められていない(不連続的な空隙がある)」ということである。
私は以前「人が一生に読める本の冊数は、たかだか1万冊にも満たず、幅広いジャンルのすべてを押さえることは、物理的・時間的に不可能なことであり、一見なんでも読んでいるように見える人でも、それは、読んでいないところについては、口を噤んでいるからにすぎない」という趣旨のことを、実例を挙げて「論証」した。
つまり、小栗虫太郎といえども、彼の広い守備範囲の知識について、細部まで詰めて知っているわけではない、ということだ。
しかし、十二分に知っているわけではないのに「さも知っているかの如く書ける」、言い換えれば、松山俊太郎いうところの『非常に要領よくまとめる』ことができるのは、彼が「学者」のような「細部にわたる裏付け」をもって書くタイプではなく、状況を大掴みに直観し、その見取り図をもって「絵」を描く、というタイプだからである。
だからこそ、(細部に)詰めの甘い部分があっても、全体としては「説得力がある」のである。
私も、極端に「接続詞」の多い文章を書く人間としてよくわかるのだが、接続詞が多いというのは、ロジックに「隙間が多い(飛躍が多い)」ということを意味している。
これは「非論理的」だということではなく、「論理節約(省略)型」だということなのだ。
つまり普通の場合であれば、「AはBであり、BはCであり、CはDであり、DはFである。したがって、AはFである」という具合に、正確緻密に説明するところを、いきなり「AはFである」とやってしまう。
この省略型の言明は、じつは「Aは(Bであり、BはCであり、CはDであり、Dは)Fである」ということであり、()内の「わかりきった手順」を踏むのが面倒なので、「AはFである」とそう書きたいところなのだが、しかしこれだけでは多くの人には理解不能だから、「接続詞」を入れて「Aとは、すなわち、Fである」「Aは、しかしながら、Fになる」などとやるわけだ。
すると、多くの読者は「接続詞」の説得力によって「えっ、そうなるのかな?」なんて思ってしまうわけで、これは「騙している」ということではなく、「(面倒な、わかりきった手続きとしての)説明を省略している」だけなのだ。
どういうことかというと、これは前述のとおりで、小栗の「知識」や「発想(アイデア)」というものは、細部が詰められ緊密のつながっているというわけではないから、初めから結末まで繋がった「回路」を構築してから書く、ということをしないし、それを好まない、ということなのだ。
小栗の場合には、「知識」や「発想(アイデア)」というものは、細部が緊密につながっていなくても、状況によって、そこで「飛躍(的連絡)」が起こるし、そのことによって、意図せず突然に「当たり前ではない回路」が生まれることがある。それが、小栗には面白い。
言い換えれば、「あらかじめ綿密に構築された設計図」どおりに書くというのは、「単純な義務的作業(ルーチンワーク)」であるから、退屈なのだ。
そうではなく、「だいたい、この方向で」と作業を進めていくと、書いているうちに、思いもよらぬ「道」が見つかったり、それどころは、想像すらできなかった「道」が、卒然と目の前で生成されたりするのである。
そんな、「脳回路」の「不思議」であり「奇跡」が、小栗には面白くてならないし、それこそが「作品創造」なんだという感覚が、小栗にはあるのである。
言うまでもなく、「三題噺」のネタである「三つのお題」には、「論理的な関連性」が無い。その関連性がないものを、関連性のあるものとして上手に繋いでいくところに「三題噺」の妙味があり、これは、これまで説明してきた「小栗虫太郎の脳構造」そのままだということになるわけだ。
こうした「飛躍的関連性生成型」である小栗虫太郎にとっては、「本格ミステリ(本格探偵小説)」の『一足す一は二である』式の発想法というのは、凡庸であり退屈なものでしかない。「そんなもの、時間さえかければ誰にだってできる」というふうにしか感じられないのだ。
例えば、私は昔、同じ「SRの会」の先輩であった有栖川有栖氏が『月光ゲーム』で作家デビューし、その合評会が「大阪例会」で開催された際に、例会に参加していた有栖川氏を目の前にして、「マッチ棒が1本、あっちへ行ったりこっちへ行ったりなんて細かい話は、退屈でならなかった」という趣旨のことを、忌憚なく伝えた。
なんとも遠慮のかけらもない非情な論評だが、この時は、これが「正直な感想」であり、ならば、それを正直に伝えなければ「誤魔化し」でしかないと、そう考えたのである。そして、これは、批評的には正論だったのである。
ただし、今なら、そのようには言わず、「私の好みではないタイプの作品だから、いささか退屈であった」とでも評するだろう。
つまり『月光ゲーム』は、誰にでも「退屈な作品」なのではなく、私のようなタイプの人間には「退屈な作品」である、というのは事実なのだが、言い換えれば、「ちまちまとした」という表現が不適切なら、「細かい」ロジックを追うのが好きなタイプの読者、言うなれば、エラリー・クイーンが好きなタイプの、正統派の「本格ミステリ」ファンであれば、この作品(『月光ゲーム』)を楽しむことができただろう、ということである。
小栗の『黒死館殺人事件』が好きなタイプの人間と、エラリー・クイーン的な「緻密な形式論理」が好きなタイプというのは、基本的には「感受性」が真逆なので、努力して「そういう発想法もあるし、それぞれには一長一短があって、いちがいにどちらが優れているとはいえない」というぐあいに「論理的に理解」することまでなら可能であっても、しかし「違うタイプ」のものを、「感覚的に理解」し「享受」することは、きわめて困難事なのである。
もちろん、ある程度までなら、どちらも理解可能ではあるが、それもまた「ある程度までなら」ということ(中途半端)でしかない、ということなのだ。
小栗虫太郎が、「暗合(偶然の一致)」を「好む」というのは、まったくそのとおりであるし、それは彼が「三題噺」を好むことと軌を一にした、その「脳構造」によるものだと言えるだろう。
要は「本来、繋がっていないはずのものが繋がる、飛躍の快楽」なのである。
私も、そういうものがかなり好きで、例えば、本書を読んでいた一昨日、たまたま「note」でフォローさせていただいている「オロカメン」さんのページを数日ぶりにチェックしたところ、氏が、歌人・塚本邦雄の著書『新装版・ことば遊び悦覧記』のレビューをアップしているのに気づいた。
同書は、そのタイトルからもわかるとおり、「回文」などの言葉遊びを、短歌と絡めて紹介した著書なのだが、私が小栗虫太郎についての本を読んでいる時に、氏は偶然にも、小栗の好きな「魔法陣」や「暗号」といった話題の出てくる「言葉遊び」関連の本を紹介しており、そのレビューを私が読んだというのは、まさに「暗合」に他ならなかったから、私は、そのことを「とても面白く感じた」のである。
このほかに、本書収録の書き下ろし論文、長山靖生の「結界のほうへ」では、小栗虫太郎の短編「聖アレキセイ寺院の惨劇」のタイトルを、次のように誤記している部分を見つけた。
このように「聖アレクセイ寺院」と繰り返し誤記しており、誰も「校正」をしなかったのかと呆れてしまうところだが、そんな「常識的な批判」など、つまらないものだ。一一私が、ここでしたいのは、そういう「凡ミスの指摘」ではなく、あくまでも「暗合」なのである。
私と古いつきあいのある方なら、私が長らく使っていたハンドルネームが「アレクセイ」だというのをご存知であろう。
回り道にはなるが、このハンドルネームのことを、少々説明させていただきたい。
私は、高校生時、漫画部に所属しており、そのとき初めて作った「ペンネーム」が「田中幸一」であった。本名が、わりと派手めだったので、シンプルな名前に憧れていたのである。
で、それ以来、「同人誌」や「会誌」などに原稿を書く時には、この「ペンネーム」をずっと使っていたのだが、インターネットを始める際に、インターネットの「入門書」(そんな時代だったのだ)を読んだところ、「インターネットでは、通常、ハンドルネームというのを使います」という趣旨の説明があったので、私はそういう「ローカルルール」があるのかと思って、「ペンネーム」とは別に、「ハンドルネーム」なるものを作った。それが「アレクセイ」である。
この「アレクセイ」というハンドルネームは、中井英夫の『虚無への供物』の登場人物である光田亜利夫のニックネーム「アリョーシャ」に由来するもので、この「アリョーシャ」は、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の主人公アレクセイ・カラマーゾフの愛称から採ったものである。
つまり、私のハンドルネーム「アレクセイ」は、私の大好きなこの2作品の登場人物に由来するものなのだ。
で、私は「同人誌」や「会誌」などの「紙媒体」に文章を書く時は「田中幸一」を使い、ネットで文章を書く時は「アレクセイ」を使った。
だから、私が初めて主体的に利用したSNSである電子掲示板は「アレクセイの花園」と命名されたのである(なお、名付け親は、江戸川乱歩研究家の中相作氏である)。
そして現在の「年間読書人」というハンドルネームを使い始めたのは、2015年に「Amazonカスタマーレビュー」への投稿を始めてからである。
ここではすでに、「アレクセイ」というハンドルネームを使っている人が何人もいたので、そちらとの差別化をはかるため、「年間読書人」という、まだ誰も使用者がいないハンドルネームを考案した。当然、読書新聞の「週刊読書人」をもじったものである。
気持ちとしては、「ミステリの世界で『アレクセイ』と言えば俺だけど、ここでは読書一般について投稿するから、他(のアレクセイ氏)と明確に差別化しよう」と考えたのである。
で、話を戻すと、一一「アレクセイ」となった私は、字数制限の厳しい「紙媒体」とは違い、「好きなときに好きなだけ書いて、それが即時反映公開される」という、夢のようなメディアとしてのネット空間に解き放たれて、今以上に、奔放に書き、暴れ回った。
また、私は、一方的に「意見を述べる」ことよりも、忌憚のない「対話(意見交換)」が好きであり、そのため「論争好き」でもあったのだ(これが、後には「ネトウヨいじめ」へと発展していく)。
私は、面識があろうとなかろうと、相手が何様であろうと、相手になってくれるかぎりは、遠慮会釈のない批判をぶつけ、「激論」を交わした。その結果、すぐに私は、「危険人物」であり「アンタッチャブル」認定されるようになった。
それでも、時には、私に絡んできたり、逆に私が噛みついていったりして、論争になることもあり、その結果は、ほぼ例外なく、私が相手を一方的に叩きのめすという展開になった(根性と執念と手数が違ったのであある)。
それで、「ミステリファン」である私のさる友人が、そうした事態を指して「聖アレクセイ寺院の惨劇」と、小栗の作品をもじって、冗談半分に呼んだのである。
で、やっと話を、「聖アレキセイ寺院の惨劇」を「聖アレクセイ寺院の惨劇」と誤記した長山靖生にもどすと、長山はすでに、その「聖アレクセイ寺院の惨劇」の経験をしている。それが次のレビューだ。
私はこのレビューで、長山靖生をコテンパンに批判したし、本書所収の長山の論文「結界のほうへ」についても、まったく評価していない。
要は「わかりきったことを、何をもったいをつけて書いてるんだ」という評価なのだ。
なにしろ、小栗の作品が、基本的には、(良い意味での)「閉ざされた場」における構築である、なんていうのは、読めば誰にでもわかる話だし、そもそもそれは「ミステリ」全般に言えることなのである。つまり「ミステリは、謎と論理のユートピアである」という場合の「ユートピア」とは、「謎と論理」という原理によって、厳格に(世間から)「閉ざされた場」である、ということだ。
で、こんな「わかりきったこと」を書くのに、わざわざ久米正雄や宇野浩二といった、小栗とは畑違いの「同時代作家」を、勿体ぶって引用してくるところが、(直感力を持たない)いかにも「知ったかぶりなひけらかし(だけ)のオタク」らしくて、「ウザい」としか評価する気にならなかったのだ。
こんなふうに、最近、私から散々こき下ろされ、言うなれば「聖アレクセイ寺院の惨劇」の被害者の一人となった長山靖生が、しかし、30年以上も前に、すでに自ら予告するかのごとく「聖アレクセイ寺院の惨劇」なんてことを書いて、活字にしていたのだから、これこそはまさに、
「暗合だ!」
と、私が大喜びしたのは、当然の始末であった。
「暗合」とは、こうした「不可思議な必然」なのであり、小栗虫太郎は、こうしたことを「面白い」と感じる感性の持ち主だったからこそ、『黒死館殺人事件』に登場するような、「不思議な暗合」に満ちた殺人事件やトリックを、生むことができたのである。
要は、小栗虫太郎は「細かい辻褄合わせ」みたいなことは「面倒くさい」から嫌だというタイプであり、その点では、細々と「日誌」だの「記録」だのつけていた江戸川乱歩の「こまめな生真面目さ」とは、その対極にある感性の持ち主だったのであり、当然、こういう「面倒くさがり屋」というのは「本格ミステリ作家(本格探偵小説作家)」には向かない「資質」だった、と言える。
ただし、小栗の場合は、他のミステリ作家が持たないような「派手なとんぼ返り」という『見世場』であり『見せるもの』があったから、「緻密かつ正確に」という「本格ミステリ作家の義務」を、特別に免除されていた、ようなところがあった、という話である。
そうなのだ。「小栗虫太郎ファン」であるならば、「こことここの辻褄が合っていない」とかいった細かいことよりも、「うはーっ、そこへ行っちゃうか!」と、そんなふうに手を叩いて大喜びできないといけないし、そうした感性のない人には、小栗虫太郎の「天才性」は理解できないということである。
多くの後進作家たちが、「ペダントリー」や「黒々とした字面」をそっくり真似したところで、小栗のような「特殊なロジック」を生み出すことができなかったのは、彼らには、小栗のような「発想の飛躍」を生み出すような「天才性」がなく、あるのはせいぜい『一足す一は二である』という「地味な形式論理を、堅実に進めていく能力」だけだったからだ。
その意味で彼らは「学力エリート」的ではあったけれども、小栗のような「天才」は、どこにもなかったということなのである。
小栗虫太郎というのは、そういう「異境の天才作家」だったのだ。
(2023年7月12日)
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