北村紗衣に捧ぐ 「ミソジニー ファンネル集めて キャッキャしたい (五七五)」
与那覇潤さんに拙稿(いや「拙レビュー」?「拙note」かな?)を紹介していただいた。ありがたいことである(合掌)。
与那覇さんの記事を、いつもありがたく利用させていただいている身なので、無理やりに恩返しさせていただいたようなものだ。なにしろ、こんなの書きましたよと、押売りしておいたのだから(笑)。
でも、つまんなきゃ採用されないよね。佳作入選かも知れないけど…。
北村紗衣ちゃん界隈と言うか、三流フェミニスト界隈では、「ミソジニー(女性嫌悪)」という言葉が、いかにも安直に「流行」しているらしいというのは、私も気づいていた。
それなら、「流行りもの」が嫌いな私は、「ミソジニー」なんて言葉は決して使いたくないのだが、しかし、私も「ミソジニー」だとは言われたい。
というか、すでにそう言われているのかも知れないが、Twitter(旧「X」)をやってない(正確には、永久凍結されてる)し、「書き専」の私は、与那覇さんが上の記事で紹介している「はてなブログ」を読むこともないので、そう呼ばれていても、まだ知らないのだ。耳が遠いのである。だから、たぶんそう言われているのを、いまだ実感できない。
そんなわけで、私も「ミソジニー」と呼ばれたい。もっと強く、もっと激しく!
今どき、「ミソジニー」とも呼ばれないようでは、一人前の批評家ではないと思うので、もっと大きな声で「ミソジニー」と呼んでほしいと、強くそう思う。
だけど、匿名のザコに呼ばれるだけでは、ノミにくわれたようで物足りないので、できれば北村紗衣ちゃんから、じきじきに「ミソジニー」と呼ばれたい。
というか、呼べよ、紗衣ちゃん。遠慮しなくていいぜ、ベイベー。びびんなくてもいいぜ。なのである。
どうも、マゾっぽい書き方になって恐縮だが、なにしろ昔から「知識人は、断然マゾである」という自作格言を口にしている者として、マゾと呼ばれても、ぜんぜんOK。
実際、北村紗衣ちゃんには、サドっ気がありそうだし、「女王様」や「スケバン」(古語)が似合いそうだというのは前にもどこかで書いたことなので、遠慮なく、「あんたはミソジニーよ! ミソジニーのブタよ!」と、ピシピシやって欲しい。
つまり、
とか、
とかいった、「サド気質」丸出しで、私にも「言葉攻め(詰め)」の粘着をしてほしい。「差別は良くない」と思うのだ。
ともあれ、ザコではなくて、「武蔵大学の女王様」でも「武蔵大学のスケバン」でも、「設定」はどちらでもかまわないから、直接お声を賜りたいのだ(平伏)。
なにしろ、今どき「ミソジニー」呼ばわりされないようでは、一丁前ではないからな。
だから、さあ紗衣ちゃん、遠慮なく「ミソジニー」と呼んでおくれ、ベイベー。なのである。
しかしながら、女性を批判したから「ミソジニー」と呼ばれるのであれば、私はその百倍も男性を批判してるのだから、「ミサンドリー(misandry・男性嫌悪)」とも呼ばれたい。
つまり私は、「ミソジニー」と「ミサンドリー」の両刀遣いの年間読者人と呼ばれたいのである。
だから、遠慮なくそう呼べ。呼んでいいぞ。許す。善きにはからえ。
それで「ミサンドリー」の方は、まだまだマイナーなので、この際に流行らせて「ミソジニーvsミサンドリー」という『ジェイソンvsフレディ』(映画とは名前の順序が逆だが)という感じに、楽しげに盛り上げたい。
難しい顔をして「ミソジニー呼ばわりしやがった」とか「ミサンドリー呼ばわりされた」とか言ってる人たちのなかへ、待て待てと割って入って、俺なんか両方言われてるんだぜ(ニヤリ)などと、余裕で自慢したいのである。
要するに、みんな楽しく「ミソジニー」とか「ミサンドリー」と呼び合えば、世界はハッピーになるのではないかと思うし、北村紗衣ちゃんの個性も、そこでやっと生かされて、「影の大番長」(梶原一騎)ではなくて、表に出てきて、堂々と活躍することもできると思うのだ。
北村紗衣ちゃん得意のフェミニズム的常套句で言えば「タンスにゴン」、ではなくて「クローゼットから出よ!」ということだ。
紗衣ちゃんには、昔のスケバンが着ていた、上はセーラー服に、下は、引きずるようなロングスカートが似合うと思うよ、ベイベー。
いまだ「昭和レトロ」も流行ってることだし、背が低いとか、肩幅があるとか、背中に古傷があるとか、そんな『お嬢さんと嘘と男たちのデス・ロード』で自己紹介していた、つまんないコンプレックスは脱ぎ捨てて、スケバンルックのゼンデイヤで駆けて来いと、昭和生まれの小生は言いたいのだ。
つまりそれが、本稿のタイトルである、
の意味であり、これは拙稿を紹介してくれた与那覇潤さんへの返歌であり、北村紗衣ちゃんへのラブコールなのだ。
紗衣ちゃん、もうよくわかってるだろうけど、そんな取り巻きの匿名ザコ軍団なんかより、俺の方が、だんぜん頼りになるぜ。
そりゃあ、頭数の多い匿名ゴキブリの方が嫌がられるから、使い勝手は良いのかもしれないけど、世の中には「安物買いの銭失い」という言葉もあって、やっぱり、安物をいっぱい集めるのではなくて、良い物を一点持ってる方が、趣味が良いと思うなあ、おじーさんは。
そんなわけで、私のことも遠慮なく「ミソジニー」と呼んでほしい。そしてできれば「ミサンドリー」とも呼んでほしい。さらにできればスッキリと「ミソサンドジニー」とでも呼んでほしい。一一これは私のオリジナルなので、流行ると嬉しい。
この言葉、どういう意味かというと、「女嫌い」とか「男嫌い」とか、そんなケチな話ではなく、シンプルかつ平等に、全部ひっくるめた「人間嫌い」。
そしてこれは、その平等性において「博愛」へと転ずるものだというところまで読み取れるようになれば、北村紗衣ちゃんも「批評家」として一丁前になれるともいうものなのだ。
そんなわけで、北村紗衣ちゃんも、「腐女子」の過去や「オタサーの姫」である現在に安住する「サイコジェニー」(永井豪)ではなく、「ミソサンドジニー」を標榜してはどうだろうか?
だから、遠慮なく私を「ミソジニー」呼ばわりしてくれていい。
君になら、というか、誰にでも許す。だって「言論の自由」や「表現の自由」を守るために役立てるのなら、俺の命なんて、お安いものだよベイベー、なのである。
ただ、「ミソジニー」だけでは、蓮實重彦から「凡庸」呼ばわりされそうなので、できれば「ミソサンドジニー」と呼んでほしい。そして、この言葉を流行らせるのに、フォロワー5万人の人気者である紗衣ちゃんには、ひと役買ってほしい。
私としては、「ミソサンドジニー」の「ラブ&ピース」で、熱い「ファンネル」を交わし合い、みんな仲良く「キャッキャ」したいのだ。
自分だけが「キャッキャ」するのでは申し訳ないのである。
そんなわけで、再びタイトルに戻って、
ミソジニー ファンネル集めて キャッキャしたい(五七五)
そういうことで、夜露死苦(昭和テイスト)。
(2024年9月18日)
○ ○ ○
○ ○ ○
・
● ● ●
○ ○ ○
・
・
・
○ ○ ○
・
・
○ ○ ○
・
○ ○ ○
○ ○ ○