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黒澤明監督 『赤ひげ』 : 黒澤明のヒューマニズムと過剰性
山本周五郎の時代小説『赤ひげ診療譚』を原作とした作品。舞台は、江戸後期の享保の改革で徳川幕府が設立した「小石川養生所」。往年のTV時代劇『大岡越前』などにも登場した、実在した公立福祉施設だ。
山本周五郎と言えば、「昭和」の人気作家として、かつては司馬遼太郎と並び立つほどの存在であったが、最近はあまり読まれていないのではないだろうか。
というのも、本作を見ても分かるとおり、山本周五郎は「庶民の人情噺」を書いた人(後継者として、宮部みゆきがいる)で、その作品は、ハッキリと「性善説」に立ったものだったためだ。
「性善説」とは、人間の「本性」は、基本的に「善なるもの」とする考え方だが、それがさまざまな外的要因に歪められることで、「悪」として表れてしまうことも少なくないと、そう考える。言い換えれば、人間の「本来の性質としての善性」を歪めてしまうものを取り除いてやれば、どんな人間だって、本来の「善性」を取り戻すことができるはずだ、とも考える。
そして、それが本作開幕の早々に、赤ひげの口から語られる「貧困と無知」(の撲滅)という問題なのである。
ともあれ、こうした「性善説」に立脚する山本周五郎の小説が、多くの読者からの支持されたのは、やはり、それが書かれたのが「戦後民主主義」の時代であったからであろう。
「戦争」で、さんざん「人間の醜さ=悪性」を見せつけられてきた人々は、おのずと「人間の美しさ=善性」を求めずにはいられなかった。たしかに色々あったけれど、でも「人間」の本性が「善」なのであれば、汚れた人間も、「善人」へと生まれ変われるはずだ。なぜなら、人間とはもともと「善性」を持って生まれてきたのだから一一と、そう考えたかったのではなかったか。
「敗戦後」の貧しさの中で、しかし多くの日本人は「ボロは着てても、心は錦」であれば良いではないかと考え、それを体現したような、山本周五郎が描くところの「庶民」に、自分たちの理想像を重ねたのではないか。
しかし、そうした「ボロは着てても、心は錦」という日本人の意識も、長くは続かなかった。
「朝鮮戦争」による「戦争特需」をきっかけとして、日本は奇跡的な経済復興を果たして、もはや「ボロを着ている人」など探しても見つからないと思えるほどに豊かな「一億総中流」の時代へと変わっていったからである。
しかしまた、経済的に豊かにはなっても、まだその頃には「物の豊かさより、心の豊かさが大事」という考えは残っていた。そしてそれは、経済復興の後にやってきた「バブル景気」の時代でさえ、そうした意識は残っていた。
しかしながら、その頃にはすでに、「物の豊か」は、日本人にとって「当たり前(自明の大前提)」のものとなっており、その上で「心の豊かさ」も欲しいと、人々は考えるようになっていた。
だから、山本周五郎の小説も、まだなんとか読まれはしたのだが、しかし、そのバブル景気が崩壊してしまうと、もはや人々は「ボロは着てても、心は錦」とは考えられなくなっていた。「物の豊か」は「当たり前(自明の大前提)」という経験をしたために、それを失った時には「なんだかんだ言っても、物の豊かさ(カネ)が第一」だと考えるようになってしまい、おのずと山本周五郎の小説も「綺麗事」としか感じられなくなってしまったのである。つまり、資本主義社会における、過剰な豊かさを経験したがゆえに、日本人は「心の豊かさの希求」という「理想」を失ってしまっていたのだ。
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本作『赤ひげ』の「ストーリー」は、次のとおりである。
『主人公の青年、保本登(加山雄三)が小石川養生所へ続く坂を上り、養生所の門をくぐっていく後姿の場面から映画が始まる。
登は3年間の長崎への留学を終えて、幕府の御番医になる希望に燃えて江戸へ戻って来た。オランダ医学を修め、戻れば父の友人である天野源伯が推薦し、幕府の医療機関への出仕と源伯の娘で許嫁のちぐさ(藤山陽子)と結婚するはずであった。しかし、ちぐさは登の遊学中に他の男と恋仲になり、子供まで生んでいた。そして幕府の医療機関として配置されたのは小石川の施療所で、自分の知らない間に養生所の医師として働くように段取りがつけられていた。納得できない登だが、幕府からの辞令であるため何も出来ず、小石川養生所の所長で通称「赤ひげ」と呼ばれている新出去定(にいできょじょう、三船敏郎)に会うために養生所を訪れた。江戸に帰れば御目見医の席が与えられるはずであると思っていたが、しかしその門の前に来た時に、まさかこんな処へ自分が押し込められるはずがないと彼は思った。初めて会った時に、赤ひげは鋭い眼つきでじっと見つめ、決めつけるように登に言った。「お前は今日から見習いとしてここに詰める」。この日から医員見習いとして養生所に住み込んだ。登は全く不服で、酒を飲み、御仕着も着ず、出世を閉ざされた怒りをぶちまけて赤ひげの手を焼かせるのであった。
登は養生所内の薬草園の中の座敷牢に隔離されている美しく若い女(香川京子)を見た。店子を三人も刺し殺したというがぞっとするほど美しい女であった。赤ひげが不在中の夜に、この女が登の部屋に忍び込んでくる。何人もの男を殺した娘と知りながら、喩えようもない美しさに惑わされ隙を見せたときに、知らない間にこの女が袖を回し、気がつくと着物の袖で羽交い絞めにされて殺されかけたところを間一髪で赤ひげに救われる。怪我を負った登を赤ひげは叱らず「恥じることはないが、懲りるだけは懲りろ」と治療に専念する。そして女人の手術に立ち会い、まだ麻酔が無い時代での開腹手術で手足を固定されて泣き叫び、血が飛び、腸が出てくる余りの凄まじさに失神した。
危篤状態の蒔絵師の六助(藤原釜足)の病状を診て、病歴から胃癌であると登が言うとオランダ医学の専門用語「大機里爾」という言葉を使って赤ひげは「違うぞ。この用語はお前の筆記にもちゃんと使っているぞ」と言われて、登はぐうの音も言えず、自分の不甲斐なさを知る。そして医術といってもあらゆる病気を治すことは出来ず、その医術の不足を補うのは貧困と無知に対する闘いであると赤ひげは諭し、そして「病気の影には、いつも人間の恐ろしい不幸が隠れている」と語る。六助が死んで、娘おくに(根岸明美)から六助の不幸な過去を聞いて登は、改めてその死に顔を見ながら不幸を黙々と耐え抜いた人間の尊さを知り、醜いと感じた自分を恥じた。そして、むじな長屋で死んだ車大工の佐八(山﨑努)とおなか(桑野みゆき)の悲しい恋の物語を佐八の死の床で聴いて胸に迫るものを感じていた。
登は、御仕着を着るようになり、そして赤ひげの往診に同行するようになった。やがて松平壱岐守(千葉信男)から五十両、両替屋の和泉屋徳兵衛(志村喬)から三十両と実力者から法外な治療代を受け取る赤ひげに驚くが、その金を裏長屋に住む最下層の貧民たちの治療費に充てる赤ひげは、社会が貧困や無知といった矛盾を生み、人間の命や幸福を奪っていく現実に怒り、貧困と無知さえ何とか出来れば病気の大半は起こらずに済むと語った。そして赤ひげは岡場所で用心棒を撃退して12歳のおとよ(二木てるみ)を救い出した。赤ひげは、この娘は身も心も病んでいるからお前の最初の患者として癒してみろ、と彼女を登に預ける。恐ろしく疑い深く、また変に高慢で他人を寄せ付けない娘であった。
許嫁のちぐさに裏切られるなど心の傷を負っていた登だが、人を憎むことしかできず、拗ねてばかりいるおとよの中に、かつてのいじけた自分を見るような気がしていた。登はおとよを自室で昼夜もいとわず看病を続けた。やがておとよは次第に心を開いていき、登が高熱で倒れた時には枕元で看病するのであった。その後おとよは、あるきっかけから長次(頭師佳孝)という7歳の男児と知り合い、貧しくその日の食物にも事欠く長次のために、自分の食事を減らしてまで分け与えるまでに心は優しくなっていった。だがある日長次の一家が鼠取りを食べて一家心中を図り、養生所に担ぎ込まれてきた。貧しいゆえの所業であったが助かる見込みは無かった。おとよは、この地に伝わる井戸の中にその人の名を呼べば呼び戻せる言い伝えを信じて、必死で井戸の中に向かって長次の名を呼ぶのであった。
登はもはやかつての不平不満ばかりを並べる人間ではなかった。今は裏切ったちぐさを快く許せるまでに成長していた。そしてちぐさの妹であるまさえ(内藤洋子)と夫婦になることとなり、その内祝言の席で、天野源白の推薦で幕府のお目見得医に決まっていたが、小石川養生所で勤務を続けたいとまさえに言い、彼女の気持ちを確かめる。
登は赤ひげと小石川養生所へ続く坂を上りながら、自身の決意を伝える。赤ひげは自分が決して尊敬されるべき人物でなく、無力な医師でしかないと語り、登の養生所に掛ける情熱に対して反対するが、登は諦めなかった。最後に赤ひげは登に「お前は必ず後悔する」と忠告し、登は「試してみましょう」と答える。赤ひげは登に背を向けて小石川養生所の門をくぐっていく。登はその後を追いかけて行く。その上の大きな門はちょうど、二人の人間がしっかりと手をつないでいるかのようにも見えて未来を暗示している。最初に来た時はこんな処へ押し込められるのかと思った登には、この時には素晴らしい門だと思った。』
(Wikipedia「赤ひげ」)
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私は、原作小説『赤ひげ診療譚』を読んでいないので、確たる話ではないのだが、しかし「診療譚」と題されていることからも推察できるとおり、この小説の形式は、おそらく「連作長編」なのであろう。つまり、「診療譚」としてのいくつかのエピソード(短編)を積み重ねることで、長編として構成された作品だということだ。
そしてそれは、本作『赤ひげ』を見てもわかる。
上の「ストーリー」紹介文からもわかるとおり、本作は、いくつかのエピソードを描いており、それらを通して、若手医師「保本登」の人間的な成長を描いた物語なのだ。
したがって、実際のところ、「赤ひげ」こと新出去定は、主人公である保本登が目指すべき「理想の大人」像ではあっても、主人公と呼ぶのは、ちょっと違う。
ただしまた、あくまでもエンタメ作品であることをも目指した黒澤明は、原作的な「人情噺」に終始するのではなく、わかりやすいヒーローを配置する必要があった。
それが、三船敏郎演ずるところの、優しくて強い「赤ひげ」だった、ということなのである。
しかしながら、そうだとしても、本作を見ていて「異様」に感じられたのは、岡場所から12歳の少女おとよを救い出すシーンでの、赤ひげの「過剰」な暴力性なのだ。
赤ひげは、十数人のチンピラヤクザを相手に大太刀回りを演ずるのだが、その素手での立ち回りは、それでも明らかに「やりすぎ」なのである。
赤ひげは医師なので、たとえ相手がチンピラであろうと、刀で斬り殺すというわけにはいかない。つまり、三船敏郎の十八番である刀を使った立回りをするわけにはいかない。それで、素手での立ち回りということになったのだろうが、その素手での立ち回りが、とんでもないものなのだ。
赤ひげに襲いかかっていったチンピラたちは、手もなく赤ひげによって、手脚を「へし折られる」。首の骨こそへし折らないが、手脚はへし折られて、中には骨が肉から飛び出している者さえいる。そもそも、その手脚をへし折る際の音(効果音)が「ボキッ!」「バキッ!」という凄まじいものなのだ。まるで、木の棒でもへし折るかのような、情け容赦のないものなのである。
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チンピラたちを相手にした後、呆気に取られている保本登に対し、赤ひげは「後でこいつらに、添え木をして治療をしてやれ」と言った後、「俺は医師であるにもかかわらず、こんなことをしてしまう、とんでもない人間なんだ」と、頭を掻くように言い訳をして、観客の「笑い」を取る。
観客としては「アクションシーンのひとつも、入れないではいられなかったのだろう」と、その事情を察して、このシーンを「観客サービス」と理解することで、山本周五郎作品にはいかに不似合いではあっても、それを気にすることはない。
だが問題は、こうした観客サービスとしての「アクションシーン」を入れるにしても、ここまでやる必要があったのか、という問題である。
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無論、このシーンは、三船敏郎の重厚な「刀剣による殺陣」の代わりに入れられたものだろうから、テレビドラマでよくある程度の「怪我をさせない」峰打ちだの、拳と手刀だけで相手を倒す(気絶させる)といった「穏健」なところには止めずに、派手に手脚をへし折る、という表現になったのであろう。
だが、これは単に「娯楽映画として必要な、派手な演出」ということだけではなく、明らかに「黒澤明の趣味」としての「過剰性」の反映だと、私はそう見る。
黒澤明の作品は、結構「ヒューマニズム」が前面に出たものが多いのだが、しかし、その一方、「暴力表現」は、かなり過激なものも少なくなくて、単に「そういう表現が許された時代だった」では説明しきれない、それは黒澤の個人的な資質の問題なのではないか。
実際、『蜘蛛巣城』の、大量の矢を射かけられるシーンだとか、『椿三十郎』のラストの対決シーンにおける、噴水のように噴き上がる血飛沫とかいった「過剰な表現」は、黒澤明の趣味(美意識)の反映としか言いようがないではないか。
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今さら言うことではないのだが、やはり黒澤明は、単なる「完璧主義」の人なのではなく、「過剰な人」なのだ。「徹底的にやらないでは気が済まない人」なのである。
そして、こうした性向は、赤ひげが語る「俺は決して立派な人間なんかじゃない。こういう酷いことをやる人間なんだ」というセリフに、いみじくも告白的に「暗示」されていると言えるだろう。
「俺は、弱者の味方であるとか、ヒューマニストであるとか言われることもあるが、決して、それだけの人間じゃない。鬼になることだってある人間なんだよ。ある意味、酷いやつなんだ」と、そう黒澤は、自分の「本音」を、赤ひげに代弁させていたのではないか。
だから、原作小説由来の「庶民の美しさ」や「性善説」的な側面だけを評価して、「よい映画だった」と満足するのは、いかにも不十分であろう。
要は、「弱者の味方であらん」とする気持ちと「悪人をぶっ殺したい」という「過剰性」とは、決して矛盾するものではないし、だからこそ、本作の「性善説」的な部分を高く評価する観客の多くも、悪漢たちの「骨までへし折る過剰な暴力シーン」を「楽しむ」こともできるのだ。
あと、黒澤の「過剰性」ということでは、保本登が、座敷牢から逃げ出した「美しい狂女」に殺されかけるシークエンスにおける「狂気」の演出が、まことに素晴らしい。
観客は、保本の部屋に入ってきた女が、一見したところは「清楚な美女」ではあっても、実際には「危険な狂女」であると、そう確信している。彼女の語る打ち明け話は信用ならないものであり、保本がそれに騙されて、その身を危険に晒すシーンであることも承知している。
このシーンには、そうした「危うさと緊張感」、そして黒々とした「狂気のエロス」をたたえているのである。
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私は、このシーンを見て、思わず「異形の絵師」竹中英太郎の仕事を連想したのだが、さて、この見立て(診立て)はいかがなものであろうか?
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(2025年2月3日)
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