#235 千利休が茶室の入口を小さくしたのは「聖書」がヒント!?
この状況でお稽古はずっとお休みしてしまっていますが、お茶を習っています。お茶のお稽古は基本口伝なのですが、この状況下なのでWebでお家元や業躰先生のお話が伺えたりする機会があります。また、改めて本を読んだりしているのですが、そこで学んだ「へぇ〜」をメモ。
1、お茶室の入口が小さい理由
お茶室の入口、正式には躙口(にじりぐち)と言いますが、小さくなっています。
内側からの写真しか見つからなかったのですが、このような感じ(木の引き戸の部分)です。
高さ二尺二寸(約67cm)、幅二尺一寸(約63cm)程度が一般的な大きさです。
立ったままでは通れませんから、身をかがめて、躙って(にじって)入ります。
小さくしたのは千利休で、その理由は一般的には、偉い武将でも頭を下げないと入れないように、とされています。
これは、お茶室には、その身分、肩書きなどを一旦脱ぎ捨てて、「ただの人」になって欲しい、という意味と解説されます。
ずっとそれで納得してきましたが、裏千家の元お家元(大宗匠)が書かれた本(「日本人の心、伝えます」幻冬舎、2016年)に以下のような記述がありました。
躙口を進む時、人は自分の足元を見つめることになります。この瞬間、自らを省みる心が生じます。そうした心の転機も、武将たちに与えたかったのではないでしょうか。
単に頭を低くする、というだけではなく、その結果、自分の足元を見つめる=自らを省みる機会とした、ということですね。
なるほど…
2、利休が躙口を思いついたのは「聖書」がヒント!?
さらに、同じ本によると、利休が躙口を思いついたのは、「聖書」の一節がヒントになった、という、意外な説が書かれています。
具体的には「マタイによる福音書」の次の一節です。
狭い門から入れ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。
そして、そこから入って行くものが多い。
命にいたる門は狭く、その道は細い。
そしてそれを見いだす者が少ない。
これについて、大宗匠は以下のようにおっしゃっています。
真偽のほどは、今後の研究に委ねるほかありません。ただ、信憑性は十二分にあります。
当時の日本にはイエズス会の宣教師たちが大勢いました。利休の弟子の中にも、クリスチャンに改宗し洗礼名を持つ人がいたと伝えられています。ですから、利休が福音書の一節を知っていて、そこから躙口を思いついたとしても、決しておかしくはないのです。何より、狭き門と躙口には同じ思想が通っているように、私には思えるのです。
なんと!驚きです…
3、まとめ
いかがでしたでしょうか?
個人的にお茶を習い始めて良かったことの1つに、仕事での肩書きも経験も全く関係ない状況で、新しいことを学べたことです。
そこでは、会社でどんなに偉くても、部下がたくさんいても、何の役にも立ちません。
当たり前のことですが、頭で分かることと、身を持って実感することとは大きな違いがありました。
例えば、利休が口でいくら織田信長などの歴戦の武将に、お茶室に入るときには身分は関係ないのだ、と問いたところで伝わるものではなかったでしょう。
でも、入口を小さくすることで、頭を下げる、足元を見つめる、という「行動」をしなければお茶室に入れない、とすることで、100回の言葉よりもはるかに雄弁に語った、とも言えます。
そこに、改めて聖書、マタイの福音書の一節がヒントになった、という今回の説を読んで考えました。
利休は、躙口という「命にいたる狭き門」を通ってもらうことで、武将たちに生き抜いてもらいたい、という願いも込めていたのかもしれない、と。
最後までお読みいただきありがとうございました。
こんな時だからこそ、ゆっくり、丁寧に、入れたお茶を飲んで、良い週末をお過ごしください。