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その他、エッセイ的ななにか

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悪態、社会への呪詛 センチメンタル ノスタルジア 虚無感 ペシミスティク
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#旅

自分は特別な存在ではなく、ただの普通の人間であるという現実は辛いだろうけど。

自分は特別な存在ではなく、ただの普通の人間であるという現実は辛いだろうけど。

以前、徒歩で日本縦断するとかいってクラファンして無計画過ぎるって事で炎上した少年(当時19歳)がいたんですが、結局4年たっても旅らしい旅は特に何にもしてないみたいだし、最近はなんか自宅でダーツ投げる生配信とかしていて、まーそんなもんだよなって思いました。

本当に旅がしたかったわけじゃなくて「日本縦断した男」というステータスが欲しかっただけなんですよね。わかる。そういう時期ってあります。で、それが

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【写真/旅】記憶の中の昭和、もしくはそれ以前。栃尾地域への旅

【写真/旅】記憶の中の昭和、もしくはそれ以前。栃尾地域への旅

場所:新潟県長岡市 旧栃尾市地域

午前中は晴れていたのに、午後からの空の色は空きチャンネルに合わせたTVの色だった。

この地域を構成する、いかにも日本的な彩度の少ない建物達はその演出性の低い光のお陰でますます淡くなり、陳腐な表現だが、さながら昭和後期の写真の世界だった。実際にその頃の建物が多く残っているように見える。

調べてみると人口のピークは1950年代とある。そこからニ三十年程度と見積も

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【写真/旅】君は砂浜に裸足のままで。筒石への旅。

【写真/旅】君は砂浜に裸足のままで。筒石への旅。

場所:糸魚川市 筒石地区

海沿いの国道8号線はそれをバイパスする道が高速道路以外に無いことから車の途絶えることが無い。

当然ながらその自動車の中には生きた人間が入っているので、傍から見れば歩く人も少ない小さな小さな漁村が点在しているだけだが、上越地方という大きな生き物を構成し呼吸を助ける沢山の器官と血液が常に脈動していることがわかる。

山が海に迫る小さな平地に肩を寄せ合うように建ち並ぶ家達。

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【写真/旅】超三次元的猫町 能生地域

【写真/旅】超三次元的猫町 能生地域

場所:新潟県糸魚川市 能生地域

萩原朔太郎の数少ない小説である「猫町」

あれに触れて以来、いつも旅先では自分の中の想像上の猫町を補強してくれるような町を探している。
例えば長野の渋温泉だったり、静岡の由比などがそうで、上海の路地裏もそれに近かった。

本当は自分の家から何間も離れていない所に見つけることができれば最も望ましいのだけど、生憎現在の住まいはすっかり綺麗に整備されてしまっていて、定規

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最果ての町、市振へ。(新潟県)

最果ての町、市振へ。(新潟県)

県境は「境川」という身もふたもない名前の川で隔てられていて、これまた「境橋」という、この上ない名前の橋が二つの国を繋いでいた。

宇宙から見ると国境など人間が勝手に引いた線でしかないという言い回しはよく聞くけれど、ここでは自然が引いた線に人間達が従っているかたちだ。

秋の陽は短い。山が高いところでは特に。
海岸へ出る。今しがた通り過ぎてきた親不知の断崖を望む。
海に張り出しているため、その崖で終

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2800kmの18歳の人はマジでやめたほうが良いと思う。あれじゃ100日後に死ぬ若者、残り98日ですよ。

2800kmの18歳の人はマジでやめたほうが良いと思う。あれじゃ100日後に死ぬ若者、残り98日ですよ。

久しぶりにきついものを見ましたね。
リタイヤか死しか待ってない旅のスタートを自信満々の笑顔で見せられても元気と勇気どころか、特攻隊やパレスチナの少年兵の笑顔みたいできついんですよ。

レッドブルやリポDのほうがよっぽど元気と勇気をくれますよ、まったく。

そして残酷ですが、あれを見てエンタメとして死を願う人が沢山いるでしょう。容易に想像できて吐き気がしますよ。死んだら面白いなとか、それ見たことかっ

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夏の京都。 永遠が終わるほんのちょっと前の日のお話

夏の京都。 永遠が終わるほんのちょっと前の日のお話

青春18きっぷで東京から京都に行ったことがある。
特急に乗れない代わりにちょっと飲みに行く程度の金額でどこまでもいけるという夢のような切符だ。
貧乏学生にとっては時間よりも金のほうが貴重だったので、というより時間が実質的に無限だったので、対して有限である金の価値が相対的に上がっていたとも言える。

早朝に友人と待ち合わせ、ほぼ始発の東海道線に乗れるよう手はずを整えていたのだけど、起きたら9時を廻っ

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きみは古い建物にフェティッシュがあるね。

きみは古い建物にフェティッシュがあるね。

古い建物や道具が好きだ。

金属や木でできていて、できれば自分の年齢よりも長くこの世に存在しているものがいい。
物にも神が宿るという話を、文字通りに信じているわけではないけれど言葉としては好きだ。

そして、それを使っていた人たちが居たという痕跡が傷や変形によって記録されていること、そもそも今もそのモノが存在しているということ自体が、それを作った人が存在したという確かな証拠。
モノは作ろうという意

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旅のさなか、僕を家に引っ張り続ける透明なゴムの紐。

旅のさなか、僕を家に引っ張り続ける透明なゴムの紐。

どんなに楽しい旅でも、家から伸びている見えないゴムの紐に僕は引っ張られている。それは常に弱い力で引力を発生させている。もちろん、遊びだけではなく、仕事で出張に出かけているときも。

始めは細く、弱く、ほとんど意識することはない。

旅は楽しい。
観光地での非日常、非現実。
その街での生活をシミュレーションする独り旅。
目的をもった撮影旅行やゴールを目指すスポーツである自転車旅。

しかし、時間が経

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旅を”浴びる”人たち。

旅を”浴びる”人たち。

20代の頃は他人が行かないようなところをあえて探して見に行ってみたり
その他の観光スポットを一切無視してピンポイントに地域の名店や映画のロケ地だけを狙って行ったりした。

若いうちはかっこつけて通ぶってしまうものだが、その頃沢山背伸びしたおかげで今の視野は広がったと思う。

それとは逆にガイドブックそのままにお定まりの定番観光コースを回るのも実際かなり楽しい。
観光地は観光地なりに客をもてなすシス

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犬神家の一族の世界/上田市

犬神家の一族の世界/上田市

一時期、仕事で日本中を旅して回っていた。そのハイペースぶりはさながら寅さんのごとくであったが、もちろん仕事で訪れている為ゆっくり観光する暇などない。改めてプライベートで再訪したいなと思う街が幾つかあった。

ある年、氷点下の一月。僕はとある街に降り立っていた。

信州 那須市
もちろん架空の街だ。

撮影に使われたのは長野県 上田市。
1976年 市川崑監督 犬神家の一族の舞台となった街である。

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