犬神家の一族の世界/上田市
一時期、仕事で日本中を旅して回っていた。そのハイペースぶりはさながら寅さんのごとくであったが、もちろん仕事で訪れている為ゆっくり観光する暇などない。改めてプライベートで再訪したいなと思う街が幾つかあった。
ある年、氷点下の一月。僕はとある街に降り立っていた。
信州 那須市
もちろん架空の街だ。
撮影に使われたのは長野県 上田市。
1976年 市川崑監督 犬神家の一族の舞台となった街である。
何度見返したかわからない。室内だけでなく、特に外のシーンが良い。
遠くに山が写っていると映画の世界が自分達の住む世界と地続きであることをハッキリと認識させてくれる。
子供だった僕は、昔の日本はこうだったのかと想像を膨らませ、そして日本のどこかにこんな街がいくつもあるのだろうなと思っていた。
そして、大人になった僕の目の前に実際にそれはあった。
次の新幹線は4時間後。
時間を気にせずゆっくり楽しませて貰おうと黒いライカにフィルムを巻き付け、初めてなのに妙に懐かしいこの街へと入り込んでいった。
作中に出ていた訳ではないが、大変趣のある、どうやら本屋らしい。
ずっと本屋だったわけではなさそうだが、古い建物が今も"生きて"いる街は本当に好きだ。
振り返るとオープニングの有名なロングショットがそこにあった。
視界に極太明朝体が浮かび上がる。
映画の撮影地を訪れたとき、どちらを思うだろう。
フィクションの世界か、撮影が行われた現実の世界か。
僕はフィクションの世界に忍び込むタイプだ。
例え視界の隅にコンビニが見えても、本当は屋敷ではなく高校だったとしても、法律事務所ではなく民家だったとしても
没頭している脳内ではそんな事は問題ではなかった。
建物たちはかなり古かった。当たり前だ。
いつまでも残しておく事は出来ないと思う。
たとえ変わってしまっても、道と山はそこにあり続けるだろう。
もちろん、映画の中でいつでも行くことができる。
でも、少なくともまだ認識できるものが残っている時代でよかった。
確かに昭和20年代の那須市に 僕は行った事がある。
その日はすこし、寒かった。