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夏の京都。 永遠が終わるほんのちょっと前の日のお話



青春18きっぷで東京から京都に行ったことがある。
特急に乗れない代わりにちょっと飲みに行く程度の金額でどこまでもいけるという夢のような切符だ。
貧乏学生にとっては時間よりも金のほうが貴重だったので、というより時間が実質的に無限だったので、対して有限である金の価値が相対的に上がっていたとも言える。


早朝に友人と待ち合わせ、ほぼ始発の東海道線に乗れるよう手はずを整えていたのだけど、起きたら9時を廻っていてケータイには着信履歴とメールが5件くらいづつ入っていた。

準備できたよ。駅に居るよ。一旦家に戻ってるよ。鍵開けとくよ。
起きたら連絡くれ。

いま思えばそいつの家に泊まっておくべきだったが、先述の通り当時は時間の価値が著しく低かったのでさして大きな問題にはならず、まるで初めからそうであったかのように3時間遅れの電車に乗った。


小田原を過ぎ、沼津辺りまでは街から海、山、そして富士山と変わっていく景色が面白く最初の乗り換えなど二人できゃっきゃしながら楽しんでいたことは覚えている。
だが、そこから豊橋くらいまではウォークマンでナンバーガールの二枚組のベスト盤を一曲も飛ばさずに全部聴いて二周目に突入してもまだ静岡県を脱出できていなかったこと以外は特に記憶が無い。


あれから15年以上経った今でも、仕事で乗るのぞみの車窓から富士山を眺めるときはいつもあの夏を思い出す。


永遠の時間を持っていた、最後の夏だ。



幾度かの乗換えを経て京都に付いた頃、まだぎりぎり日は落ちていなかった気がする。

五山の送り火までは時間があったのと、そもそものコンセプトが修学旅行のやり直しだったので、新京極に向かった。

観光客向けのおみやげ店が続々と閉店していくなか何とか刀を購入し、そしてなぜかブート屋でメタリカの海賊版DVDを買って店員と客と散々盛り上がった後、地図を頼りに意気揚々と鴨川へ向かった。
そこで僕らが見上げた山には「ヽ」のようにみえるなにかがちろちろと揺らめいているだけで、あとは人々の喧騒、屋台から漂う食べ物の匂い、湿度、温度、日本中どこにでもあるただの夏が残されていただけだった。

まあ、別に無理に見たかったわけでもないし、それもまた面白かった。

撥ねた土が、サンダルの足を汚していた。



折角の旅先で、敢えていつもどおりに過ごすことこそがクールだと意見が一致した僕らはバスを使わずに歩いて、ケンタッキーとすき家をテイクアウトしたあとコンビニで缶ビールと缶酎ハイを用意して、ビニール袋をぶら下げながら宿に向かった。
まるでここに暮らす普通の若者のように。いつもの池袋のように。

自分達以外全ての人間が京阪式アクセントで話すこと以外は何の変哲も無い普通の夏の夜だった。
背中に張り付く服、重みを増した髪、熱風に乗って届く緑の香り。

窓から風も入ってこない畳張りの部屋で、いつもどおりにお酒を飲み、いつもどおりの話をして、いつもどおりに寝た。その「いつもどおり」はいずれもう二度と手に入らなくなる「いつもどおり」だと僕らは気づいていたのだ。

観測された瞬間から、時間は無限ではなくなっていく。


その後は、お決まりの京都観光を楽しんだ。
二人とも浴衣だったのも最高なのだけど、清水寺や三十三間堂に向かう途中で楽器屋や古本屋へ寄ったり、古道具屋へ飛び込んでみたり、非日常と日常の間を行ったり来たりした。

こうして喪われた修学旅行を勝手にやり直した僕らは、有限の時間を生きる大人になることができた。


帰りのことは、全く覚えていない。
家に付く頃には完全に真っ暗になっていた事は現像された写真の最後の一枚をみて漸く思い出したくらいだ。


フラッシュに照らされて佇む青年は
今の僕からみたらまったくの子供だった。



おしまい

※そのときの写真は殆ど残っていない。携帯電話のカメラは発展途上だったし大げさな一眼レフを持ち歩くのもまだクールではないとされていた時代だ。
僅か27枚撮りの写ルンですから掬い出された写真は、だいたい自分の記憶と同じような画質であの夏の空気を保存して、徐々に色あせて来ている。


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