学習能力のない健常者ほど、合理的配慮ができない。 学習能力のない健常者ほど、境界知能を限界知能と言ったり、正しく障害名や病名を言えなかったり、理解がない。 学習能力のない健常者は、ほかの健常者にも嘘をいうから迷惑。
ムカついたなら、とにかく動けよ健常者だろ。
使えない健常者は大体見え透いてる。 指摘を受けると急に忙しくする、反抗的になる、物音立てたりする。 相手に言われそうなことを先に言おうとする。 現実見ろとか言って現実教えてやっても思い込みに逃げる、否定する等酷い位に自己中心的。 だからそういう健常者は駄目だねっていうこと。
コンサルとか無料相談とかやってる人とかににありがちなこと 健常者宛か障害当事者宛か、境界線が酷く曖昧な文章。 健常者には比較的早く直せることもあるだろうけども、障害当事者の人たちに対しては無理解にも程がある。医学的アプローチを無視されてる。 当てはまってる方はご注意を。
誰か「外部刺激や経験が足りない人はこうです」 障害当事者(そんな……体動かないのにどうすりゃいいの?外でひどい目ばかりなのに) 誰か「自分から動かない人は」 医者「下手に動かないd」 誰か「あーあー!いしゃにころされるぞー!」 障害当事者「」 "誰か"に当てはまる人沢山いる。
不登校経験のある発達障害当事者で、親から金を取られて機会を奪われた20代と30代はどうすればいいのか? さあ、自分の身に起きたものとして考えてみよう!
今のあなたは補助輪付きの自転車に乗っているのに等しい。いつまで自己実現の為の奴隷を要求するのだろうか?crutch無しでは歩けないないのだろうか?私はあなたの補助輪でもcrutchでもない。相手に依存することと、相手に協力を求める事は全く異なる。早くこの違いに気付いて頂きたい…。
よく言われる『"差別"と"区別"の違い』 この議論、正直やめてほしい 差別や区別という、目に見えない線が、 すでに引かれているから 忘れないでほしい 自分を含めて、誰もが、差別『する側』『される側』 区別『する側』『される側』になるかもしれないことを
健常者だった時の私は我武者羅に頑張ってた 健常者じゃなくなった今も我武者羅に頑張る性分は変わっていない 我武者羅にやって人並みだった過去も 障害者になった今は人並み以上に出来ることも多くなった 私の得意なことは生活全般に関わる事だ パソコンは苦手 計算や識字は遅いけど
健常者や恵まれた人々が、心身発達に障害のある当事者に努力不足!と一斉に叫ぶと 健常者や恵まれた人々は自分たちの年金が惜しいから無敵な人を生まないようにすることを怠った。 怠らなかった人は甘えた考えを持った健常者たちの集団圧力や偏見で惑わされ、助けられる筈の人を見捨ててしまった。
適応障害の中で保とうとしてるために頭がいっぱいな精神又は障害の当事者 その人達に対する不用意さで怒鳴ったりなどで追い詰めてそうさせたくせに、話を聞いてない人扱いしてその場をしのぎ、仕事はこうだからどうだから一生懸命事実を都合よく振りかざすバカな健常者。 バカな健常者の負け。
暑さに弱すぎて 今年の夏は何度も死にかけたが 一般論的熱中症対策を語られると 死ぬほどムカつく 理由はカンタン、それは健常者が障害者に健康を語る構図であり 自分が『健常者ではない』ことを 強く実感させられる時間だから 暑さアレルギーとでも呼ぶべき 悲惨な持病を話題にされたくない
フェス文化もライブも素晴らしい。 でも、この世で一番弱い者の為の、お金がない肉体労働者や、障がい者の為のフェスやライブは何処にあるのだろう。 少し悲しい朝だ。 だってみんなお金のある健常者の為のものだもの。資本主義から取り残されたマイノリティの為のライブやフェスを思う。
加害者は不問に付す。 被害者には更なる圧力をかける。 障害者で正直者は、あくどい健常者様に虐げられ続けるんだな…。 早く死ぬ覚悟をって突き付けられてるみたい。 安楽死したいよ、出来るものなら。 死ぬ時位は、自分で決めて幸せな気持ちで死にたいもの。
また毎日投稿止まった…。 まあ、毎週、毎月は途切れていないだけ良いとするか。 やっぱり、ここ最近は暑さと湿度に確実に身体がやられていることを実感する。 ここまでぶっ倒れるのもなかなかやばいのかも…。 精神状態が最悪でなければ、まだ何とか乗り越えられるかもしれないのに。 悔しい!
就労移行支援事業所の支援員に精神状態を悪化させられた人達の為のコミュニティって、ないのかな? 被害者の会とか、ないのかな? 支援員によって精神状態悪化しちゃった人達は、その後どうなっているのだろう? わたしのように藻掻いている人もいるのだろうか?