大学時代を振り返る
週末は友人とランチを楽しんだ。
彼女とは大学時代からの付き合い。
入学当時のわたしは戸惑っていた。
小学生の頃は目が見える友人たちと一緒に勉強したり遊んだりしていた。
でも、、その時はわたしにも少し視力があった。
その後目が見えなくなり、中学から高校卒業までを盲学校で過ごす。
そこには自分と同じように視覚障害を持っ友人がいて、特別でなく、当たり前に皆がお互い視覚障害者であることを受容して関わり合っていた。
しかし、大学では自分はマイノリティーになった。
周りの人たちは皆目が見えているし、視覚障害者と関わったことのある人はほとんどいない。
それでも何人か仲良くしてくれる仲間ができた。
彼女もその一人。
しかし、その人たちを友人と呼んでよいのか、わたしはもやもやしていた。
みんな、わたしがいろいろ手伝いを頼んだりするから仕方なくそばにいるだけなんじゃないか?
わたしもわたしで、みんなに甘えすぎているのかも?
そのうち、みんな疲れて離れて行ってしまうかも・・・
今振り返ると、当時のわたしは、
障害のある自分をまだ十分には受け入れられていなくて、
健常者に追いつかなければと
焦ったり空回りしていたのだと思う。
ある日、彼女を含めた数人で遊園地に行った。
ひとしきり楽しんで、トイレ休憩をすることに。
わたしも個室の場所を教えてもらい、中に入った。
便座にこしかけてしばらくした時、彼女の大声が聞こえた。
so-necoちゃん、流すボタン後ろのほうにあるよ‼︎
この、公共のトイレの流す場所がわかりにくいんだよ!、問題についてはまた別に語るとして。
とにかく、この言葉にわたしは助けられた。
わたしでもわかりにくい場所だったから、so-necoちゃんに教えなきゃって思ったの💡
彼女はあとでそう言っていた。
周りには他に人もたくさんいたけれど、それはさておき、わたしを気にかけて行動してくれたことが嬉しかった。
とても単純と思われるかもしれないけど、このできごとはわたしのもやもやを晴らすきっかけとなった。
周りの人たちのほうだって戸惑っているのかもしれない。
悪い意味ではなくて、わたしともっと交流を深めようとしてくれていて、だけどお互いにどうやって距離を縮めたらよいかわからない。
もしかしたら、壁を作っていたのはわたしのほうで、
彼女の行動はそこに風穴をあけてくれたのだ。
そういう豪快さと、説明しなくてもなんとなく察してくれる繊細さを持った人だった。
わたしは友人たちに堂々甘えられるようになって行く。
つまり、そのままの自分を出しても、みんなは離れて行くわけではないと気づいた。
喧嘩をすることはあったけど、それこそが対等というものだ。
法律の整備や福祉に関わる人たちへの支援を、えらい人たちにはやってほしい。
わたしたちにできることは、人と人同士がお互いに楽しく過ごせるように歩み寄って行くことだ。