限界かもしれない
こころも、身体も、ボロボロ、バラバラ。
やらなければならないことが、全てできぬままわたしはどうやらぶっ倒れたらしい。
そして、目が覚めた時には月曜日のam4:30…。
こんなんじゃ、そりゃあ天涯孤独の方が良いのかもしれない。
孤独に野垂れ死にする方が良いのかもしれない。
だから、野垂れ死にするよりは自ら生涯を潔く終える方がまだ綺麗だと思うのは当然だ。
休みの日に、ただ寝るしかできない。
寝ることまで仕事、なんだか個人の尊厳をズタボロにさせられた上で仕事を続けることの何が良いのか分からなくなった。
勘違いして欲しくないのは、個人の尊厳をズタボロにさせられたのは会社ではないということ。
社内の人間で、確かに仕事量や負荷がわたしより軽いのにマウント取ったコネ入社とかその人と仲良くしてわたしに嫌がらせをしている出来る先輩なんかもいる。
けれど、その人達に関しては人間として「その程度」と割り切っている。
言い換えると、井の中の蛙なんだろうなという感じ。
そんな人達は、いずれ苦しむことになるだろうからどうでもいい。
(その人達のせいで精神的にはダメージも来ているし、体調不良にもなっているけれど、まだ耐えられる。)
個人の尊厳をズタボロにし、仕事さえやればいい=社会人ならば他の部分を殺そうが何しようがいい!とこころを殺され体調も悪化したのは就職前の話だ。
いつまで引きずるんだ?と言うのは勝手だ。
その言葉が出るのは、大抵被害者側の心情を汲み取ろうともしない加害者側の言い分だ。
そんな中でも、仕事以外を放棄して仕事だけを頑張っていても限界を迎えることはある。
こう思うのは、一体何度目だろうか。
泣きたい時に、泣けず。
わけが分からず、涙が出て。
喜びや楽しみを、奪われて。
個人の尊厳を、傷つけ奪われた。
わたし、何で生き延びてるんだろう?
わたし、何でスパッと死ねないんだろう?
ていうか、何でわたしは人間じゃないのに人間としていたいと思うのだろう?
何もしたくない、生きることが辛くなってきた。
けれど、そのすべてを我慢し続けて仕事はしないとならない。
非人間が信用できるものは「金」だけだから。
休めるわけがないなら、平気なふりをして仕事をするしかない。
こころも身体も限界であっても、それを隠して仕事をするしかない。
それが、わたしが唯一信用している「金」に繋がる。
愚かで気持ち悪い非人間のわたしが、この世で生きることで唯一許されていてやらなくてはならないことが「仕事」。
その他は全てやってはならないこと。