とらわれない心
どうやったら淡々と結果を出し続けられるのか
自宅にはテレビを置いていないので、旅行先のホテルでニュースや野球の試合など観るのだが、野球の試合をテレビで観戦してびっくりしたことがある。というのも、日本国内のプロ野球の試合で、大事な局面で、ピッチャーとバッターの表情を大画面で観ていたら、ピッチャーが泣きそうな顔、というか、もう家に帰りたい、くらいの表情で、バッターはいい感じに気持ちの入った表情で勝負に臨み、見事に安打を放っていた。プロ野球の投手はポーカーフェイスか又は闘志に満ちた顔だと思い込んでいたので、こんな顔で公式戦に臨むことがあるんだ、と心底驚いた。
その試合を見終わった後、スポーツニュースでMLBの結果を流していたが、ドジャースの大谷選手が打席に入っているときの顔、というのが、力みかえった形相でもなく、澄んだ空気感で淡々と打席に入り、自然な表情で安打を放っていた。少し前に観た「負け顔」のピッチャーと対照的だった。
なぜ、涼しげな、一点の曇りもない透き通った空気感で次々結果を出せるのか(一体どういう境地なのか)、そして、なぜ公式戦の登板中にあからさまな負け顔になって打ち込まれるのか。どんな違いがあるのだろう。
何物にもとらわれない状態
言葉を替えると、負け顔は何かにとらわれていることの現れで、大谷選手は、何物にもとらわれず、宇宙と一体化している感じさえする。偉業を達成しても、「俺様の力を見よ」という気配もない。表現が適切かどうかわからないけれど、「媒体」になりきっているようにも見える。超人を観察するのは興味深い。
怖れること、許せないことなど、力んでとらわれているものが多いと苦しい。その思い込みやこだわりのおかげで前に進めることもあるけれど、弊害もいろいろあると感じる。せめて、握りしめているがらくたを手放すと少し楽になれるのかもしれない。
課題図書の抜き書き
心の持ち方は、その人の全人格に影響を及ぼし、自分が最も強く願うものや状況を実現し、人を引き寄せる力を持つ。
私たちはできていないが、成功者はやっている52のこと
ナポレオン・ヒル