古文や漢文が要らないという論が出てくるのは、目に見える範囲でしか物事を判断することができない人が増えていることの表れでもある。先をある程度予測する・表現の土台を築く上では無視できないので、中身(主に精神面・思考面)が薄っぺらい人を量産したい意図が見え隠れしてしまっている。