白鳥和也/自転車文学研究室
主に自転車旅の紀行文集です。ガイド的内容ではなく、紀行的文学と思っていただいたほうが良さそうですな。一部は有料化する予定。
動画&音楽ファイルのコーナーです。オリジナルミュージックやスライドショーなど、あれこれ。演奏も自前なので、もちろん無料であります。
次元上昇的ネタを含む多次元的エッセイシリーズでして、現在のところ無料記事。サポートはもちろん大歓迎であります。
紀行文というより、旅のあれこれについての随想です。自転車以外の旅についても取り上げます。現在無料記事で、サポート大歓迎。
掌編と短編の小説集です。一部を除き、無料でお読みいただけますが、サポートしてくださると大変ありがたいです。
しばらく音信のなかった、知人であり友人でもあった人の消息を リアルタイム検索(ツイッター検索)で探した。2日前のことである。 某大学の名誉教授であり、請われてよく講演などに登壇していた人なので、そういう活動の様子が分かるだろうと思って検索したのである。 そうしたら、「亡くなられたらしいが詳細は分からず」というツイートがあり、血の気が引いて愕然とした。 どうか誤報であってほしいと願いながら、facebookなどの知己を通して照会していたら、昨日になって、まことに残念極まる
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伯母が亡くなったのは、長く患っていた糖尿病の合併症からだった。亡くなる二十年も前から伯母はその合併症で目を悪くしていて、晩年はほとんど視力がなかったようだった。 私はその頃はまだ健在だった父と、父の世話をしていた母とともに伯母の葬儀に隣街に出向いた。 しばらく前から私は葬儀に出ると、だいたいは火葬が始まってからだが、故人の姿が脳裏に現れて、川や橋を渡ったり、さきに亡くなっている近親者に出会うような光景を見るようになっていた。 多くの場合、死者は無言だった。無言で光
リハビリサイクリングのその後2である。夏のあいだは、ともかくもうあまりに暑くて暑くて、近所に買い物に行くぐらいしか自転車に乗らなかった。それくらいひどい夏だったのだ。 10月に入ってやっと少しは涼しくなり、ぼちぼちまた乗ろうかと思っていたところ、いろいろ用事ができてなかなか自転車に乗ることができなかったのである。そんなこんなであっという間に11月になり、少しは乗る気が出てきていたところ、土曜日に出力過剰T君から電話がかかってきて、「日本平に行きましょう」てな話になった。
青春18きっぷの使い勝手がずいぶんと変わり、使いにくくなるらしい。これまでのようにグループで使うこともできなくなれば、日を置いて使うこともできなくなるらしい。 JRはおそらくもうこのスタイルのきっぷを売りたくないんだろうね。ため息が出るが、寡占の私企業なのでどうしようもない。輪行に対する方針などを見ても、庶民のことを考える企業ではないようだ。 しかし以前はそこまでではなかった。夜行列車や長距離の各駅停車列車がかつての時刻表にはいっぱい載っていて、昔はずいぶんと面白い旅がで
山梨県側の富士スバルラインにLRTを走らせて「富士山登山鉄道」を造ろうという構想があるが、これがだいぶ風当たりがきついらしい。構想の段階ですでに地元では反対運動が起きているようだ。 そうでなくても富士山はオーバーツーリズムになりかけているのに、首都圏から鉄道一本で五合目まで登れてしまうのは行き過ぎなんじゃないかという議論もあるだろう。 実はこの「富士山登山鉄道」の構想が取り沙汰させる前から自分にはちょっとしたアイディアがあって、机上の空論ではあるが、やるなら「富士山一周鉄
もう8年ほど前になるが、あるテレビ局のニュースキャスター氏から、「観光は、ほかにこれといった産業のないところで最後に手をつける事業」というような一種の極論を聞いたことがある。 これ自体はいささか問題を含む発言とはいえ、ある地域に限ったことで言えば、的を得ているとも言えないことはない。実際、国立公園内の高原のような場所では、土地利用に制約があり、観光以外の産業が成り立ちにくい状況となっている。いわゆる高原リゾートもそういう範疇に入るだろう。 しかし、これを例えば、日本という
10月27日(日)、かみさんと一緒に駅前の市民文化会館で開催された市民音楽祭に足を運んだ。全18団体が出演する音楽祭で、女声合唱、混声合唱などが多いが、リコーダーや弦楽合奏などの器楽団体も少なからず登場する。 開場は12:30。少し離れたところにある有料駐車場に車を停めたのがちょうどその頃で、なんとか13:00の開演にギリギリ間に合った。大ホールだったのだが、1階客席への入り口が分かりづらく、中に入ったらちょうど最初の団体が演奏を開始する直前であった。 各団体とも持ち時間
圧倒的な「自然と野生」は、人間の世界から遠いところにあることが多い。山岳や、海洋や、荒野や密林がそうであるように。 けれども、都市や郊外や田園のように人間に近しい環境の中にも自然と野生は入り込んでいる。 住宅地の片隅にある公園の木立ちの中にシジュウカラが群れていたり、高層マンションの窓辺にイソヒヨドリが翼を休めたり、交通量の多い国道の脇の内海で画像のコトヒキのような魚が何種類も釣れたりする。 あまり好まれないカメムシやヤブカやゴキブリだって、立派な自然と野生の産物である
「第二の波」の終りが近づいているのかもしれない。『第三の波』は未来学者・アルビン・トフラーの名著で、1980年頃、盛んに読まれた。その時点ですでに情報システムの発達による在宅勤務の実現を予見したという点に近年再評価が高まっている。「第三の波」とは高度情報化社会の到来と読み替えても良く、その波がすでにわれわれの世界に到達しているとみられている。 「第二の波」とは、17世紀頃におこった新しい社会変革の流れのことで、平たく言えば「産業革命」「産業社会、工業化社会」の到来のこととさ
きのう10月14日、清水港日の出埠頭に16万総トンあまりの超大型客船 Quantum of the Seas が入出港した。ニュースで報道されたせいもあったのか、けっこうな人出があった。船好きの私でもあるので、いちおうは日の出埠頭のそばに車を止め、桟橋と客船の様子を覗いてみた。 とにもかくにも船体の長さが347mぐらいあるので、やたら大きく、また上背も高い。70mぐらいあるそうである。しかし喫水は9m程度だとか。よくそんなトップヘビーで運航できるなと思ってしまうが、今はそう
このところ昼メシは蕎麦を茹でることが多かったのだが、毎日蕎麦ばかり食べることにも飽きたので、きょうの昼は自転車で弁当を買いに行った。自宅から約3kmほど離れたマックスバリュである。 昔だったら歩いて5分のところにスーパーがあったのでそこで買うこともできたのだが、何年か前に閉店してしまった。そこの小さな商店街はほぼもう壊滅状態に近い。 滅びた小さな商店街を横切って、さらに先に進む。コンビニがあるけれど、今日はその気分じゃない。昨日もコンビニ弁当が夕食だったのだ。かみさんは高
50年ぶりぐらいで、中学生の頃に戻ったような釣りをした。場所は清水港。港の奥の折戸湾と呼ばれる比較的浅いところである。お仲間に声をかけたところ、2人が参加表明。ドクターのSセンセと、ランクル&ジムニーオーナーのKKS氏である。海釣りベテランのO氏も、時間が合えば見に行くよということであった。いちおうのタイトルは「ハゼ釣り大会」である。 前の日から準備。なにしろ中学2年くらいでエサ釣りからルアー釣りに転向してしまい、その後はフライにも手を出したということで、生きエサを使うよう
ともかくえらく暑い夏だった。連日35℃超えで、とてもじゃないが外に出るような気になれない。そういうわけで、7月8月は、サイクリングに遠出するような意欲はまったくと言っていいほど起こらなかった。 最近になってようやく少し暑気が和らいだので、往復しても数km程度だが、近所の買い物に自転車で出るようになった。雀の涙ほどの走行距離であるのは、いやというほど分かってはいるけれど、走らないよりはマシだ。やっとこさ、そういう気力が湧いてきたのである。 出掛けるときは最近はいつもダホン。
ほとんど2カ月ぶりくらいじゃないか。エアコンのない階下の温度計が30℃を切ったのは。まったくひどい夏、ひどい暑さ、ひどい残暑だった。noteを更新する気力も失せていたくらいだ。 涼しくなったので、ようやく料理めいたものをする気になってきた。数日前から、塩ラーメンにモヤシ野菜炒めを乗せたものが食べたかったのだ。35℃もあるようなキッチンではそれはできないので、我慢していたのであった。 今朝から風も涼しいので自転車にも乗りたくなり、昼前にダホンのボードウォークをひっぱり出して
フランク・パターソン(1871~1958)ほど、旅を好むサイクリストに愛されている画家はいない。そのペン画の魅力は説明不要である。自転車で旅をすることのありとあらゆる面白味が、あますところなく描かれている。 38歳で足の怪我のために自転車を乗ることができなくなったらしいが、その後もサイクリストとサイクリングの素晴らしさを描き続けた。パターソンの描いた自転車は英国流のモデルで、いわゆるランドナーとは異なるが、自転車の旅におけるその存在感はランドナーとまったく異ならなかった。