心が発することを、無視せずにやっていく。そうすれば、自分を生きられるようになる。利益とか生活とか関係なしに、ふとやってみたいと思うことは魂の要請であり、それをやり続けていくと、後からそれをすることの意味を理解できるようになる。特に理由もなく楽しく感じることほど、深い意味がある。
アルコール依存症は、魂が壊れる。サタンが憑依する。 病気ではなくて、科学物質が、魂を破壊して、人間を人間では なくさせる、行為である。しかも、それは、割合と簡便に、 となりにひっそりと身を寄せて、徐々にいれかわる。 黒い、魂に。嗜好品だと思うものも油断せず、注意してくださいね。
発心とは出家して仏門の道に入ることを言うが、広義では何かをやってみようと思うこと。仏道修行の過程を描いた「十牛図」の一番最初の過程が「尋牛」。本当の自分を探す旅に出かけようと思うこと。利休百首の一番最初の歌にも志を立てるその心があれば、自身の中にすでに師匠がいると教えてくれる。
毎日がいつもMy日であり、メッセージ。 『8月24日』 ・824=ハッシン ➡豊かさ意識の発心でいつでもどこからでも発進だ💗 #My日 #毎日 #インスピレーション
全ては必然の道を歩んでいる。人の発心ですら、己とされるものと関わりのない所から湧いてくる。それが心と信じている箇所で起きているので、我意と勘違いするが。主体的に選択したと思える場面も、それはそうするしかなかったということだ。そういう意味で人生に「もし」はない。選択肢はないからだ。
巷を賑わす凶悪犯や、誰からも慕われる聖者と私はどう違うのだろうか。どこも違わない。ただ人には預かり知らぬ発心のコトワリにより、誰でも瞬時にどんな人にでもなってしまう。これは真に恐るべきことだ。だが己に固執することをやめれば、その真理も受け入れることができる。