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想像していなかった未来 ~どうしてお坊さんになったんですか?~

今回はnoteのコンテスト・コラボ企画にも参加しながら連載を務めたいと思います。現在募集中の『#想像していなかった未来』について書いていきましょう。

その前に、企画のタグで初めてこのアカウントにたどりついた方のために少し自己紹介。

日本の仏教には数多くの流派(宗派)があります。日蓮宗の青年僧の集まりで「全国日蓮宗青年会」といいます。
今年の9月から隔週でnote連載を始めたところです。
お坊さんといえば有難いお話をするお説法のイメージが強いかもしれませんが、カジュアルな文章で心を通わすnoteにチャレンジしているところです。

こうして記事を見ていただけるご縁に感謝しながら始めていこうと思います。


「どうしてお坊さんになったんですか?」


たまにこんな質問をされますが、なかなか答えに窮します。
「いろんなご縁をいただいて」と煙に巻くような答えを最近覚えたところです。

私たちお坊さんは、誰しも『お坊さんになる決意』をどこかでしています。
この決意の事を『発心』(ほっしん)といいます。

お寺に生まれたからお坊さんになった、そんな人も子供時代はまだお坊さんではなく、普通の子供です。
成長するにしたがって、お坊さんになる未来を選ぶのか?お坊さんにならない未来を選ぶのか?決断しなければいけません。
お坊さんになった将来の自分をはっきりと想像できる人なんていませんから、とても難しいことです。

昔は、選択肢すら与えられずにお坊さんになった方も多かったようですが、昨今は自分の意思が大切にされ、他の道を尋ねて年を重ねてからお坊さんになる修行を始める方もいます。


私はお寺に生まれて日蓮宗のお坊さんになりました。
ただ、私は日蓮宗の指定する大学には進学せず、一般の大学に進学しました。
薄っすらと「いつかお坊さんになって、いつか地元に戻るんだろうなぁ」と思いながら、普通の大学生をやっていました。
そんなモラトリアムな時間は長くはなくて、周りが就活をはじめていくなかで初めて自分の未来を真剣に考えはじめました。
結局もう少しだけ学びたいこともあり、日蓮宗の大学院に進学することになりました。自分の中で「将来お坊さんになるということ」が少しだけ色濃くなりました。


多くのお坊さんはドラマティックな発心のエピソードをお持ちですが、私はこのように追い込まれながら少しずつ覚悟を決めていくという、何とも情けない話です。

大学院に進学してから、研究と並行してお坊さんになる修行にいき、研究に一区切りついてからは、地元のお寺に戻ってきました。
振り返ってみれば、いつの間にか発心が深まっていると感じます。
あんなに「薄っすら」としか未来を想像できていなかったのに、変わるものだなぁと思います。


寄り道したり、迷ったり

何か心を動かすような経験や出会いがあったときに「こんなお坊さんになりたい」「こういう人間でありたい」と願うものの、その気持ちが続かなかったり、挫折したり、方向転換したりします。そんなことを繰り返しながら、昔は想像できなかった今の自分になっているし、未来の自分になるのでしょう。「いまをだいじに」しています。

これは自分がお坊さんなる発心の話で、特殊な内容です。
しかし、みなさんに『発心』して頑張っていること・取り組んでいることがあると思います。通じるところがあったら嬉しいです。

梶原  拝

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