知人が、多和田葉子『献灯使』をクィア批評の視点から分析している論考を読む。 『献灯使』で、108歳の義郎は曾孫の世話をしている。両親や祖父母に代わって自己犠牲を払う義郎はイエス・キリストじゃないか、と気づく。 今度の海外旅行のお供は、久しぶりの多和田葉子にしようと思う。