生前とは、その人が死ぬ前のことなのに、 老後とはその人が老いた後のこと。 生前が、文字通り「生まれる前」という意味でない理由は、その人についてその人が生まれる前のことを言及する必要がないから。 このように、単語の意味は便宜性によく左右され、前後関係が反転さえする。 有史以前は無記
「無記」(avyākata, avyākṛta)とは、形而上学的な問題について判断を示さず沈黙を守ることである。無用な論争の弊害からのがれ、苦しみからの解放という本来の目的を見失わないためにとられた立場である。 https://user.numazu-ct.ac.jp/~nozawa/b/muki.htm#:~:text=%E3%80%8C%E7%84%A1%E8%A8%98%E3%80%8D(avy%C4%81kata%2C,%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81
正月に帰省したとき、 世界金融と同化した我が兄に対して、 地方家業と同化した我が父が言った。 「人間の基本は紀元前よりもっと昔から変わってないんだ。生きてる間に世界は変わらない。」 兄は答えた。 「我々は永遠に生きるから、何が基本かはわからない。」 我は思った。「不可説、無記 」
「本物」「確実」「真理」というレッテルにはもううんざり。 言語化とはモザイク処理だ。間違いない。 感覚器官で暗号化され、脳で解読される。 人は読者にしかなれない。 人が書けるのはモザイクアートだけ。 アウラを伴った生けるアート:アルスとは、読むことだ。 不立文字=一字不説=無記
法が法をお定めになったのですか?ーはい。 初めの法、原法はございますか? ー環、トーラス、永劫回帰に原点はありません。 法の内は何ですか?ー記号。 法の外は何ですか?ー無記。 法の下は?ー有漏、倫。 法の上は?ー無漏、儒。 法は重複しますか?ー無記。 法の意は?ー無記の記号化。
自己愛、利己主義を「悪」と捉えるのはいけないと思う 彼らは愛の不足分を自ら補っているだけのこと あなたが彼なら同じことするだろう あなたが私なら同じように思うだろう 愛着を着た者にはわからぬ「寒さ」がある 愛着を知らぬ者にはわからぬ「温かさ」がある ただそれだけのこと
愛情の表現が必ずしも愛ある形とは限らない。 狂気の表現が必ずしも狂ったものではないように。 正 義 美 智 恋 信 然り 「表現」とはそういうものだ 精神は現象の特異点かつ変換器だから でも現実は現実に、私は私にしかならない これは×1、+0の概念に似ている 発現無記説