私なりの無記・中道の模索② 宗教の信仰
前回↓↓からの続き
宗教は瓦解しつつある
特に現代先進諸国では伝統宗教離れが進んでいるようです。
無宗教と言っても必ずしも無神論ではなくて、不可知論、仏教やヨガなど東洋の思想・宗教への関心、スピリチュアル、、、なども含まれるようです。
例えば「アメリカ 無宗教」などで検索するといろいろと記事が見つかります。↓↓
教会も、エンターテインメント性のあるイベントなどやって集客力のあるメガチャーチ以外は、クリスマスなどビッグイベントを除いてはガラガラの閑古鳥状態です。
関連??面白い記事。
TRILL:「キリスト教って脱会できるの?!」ドイツの“変わった宗教文化”に日本人衝撃のワケ
無宗教、棄教を公言してしまうと生命に関わる大変な事態になることもあるイスラム諸国でも、宗教離れは進んでいるようです。
この場合は、ネットで匿名で意見を述べたりするようです。
イスラエルでも↓↓
基本的には「テクノロジーが発達した国・地域、若い世代、都市生活者、教育・教養水準が高い、所得水準が高い、治安がいい、政治・経済が安定、医療や福祉行政がしっかりしている、娯楽が発達している、、、、」などの条件が満たされているほど、宗教から離れていく傾向が顕著のようです。
宗教は用済みというわけです。
もちろん日本でも↓↓
私も以前の記事で「宗教は妄想」と述べたことがあります。
宗教の衰退は、今に始まったことではないですが、もはや押しとどめようのない世界的なトレンドだと思われます。
宗教の実際的な効果とは?
特に先進諸国においては宗教は教養、芸術、文化遺産、観光資源、セレモニー以外では居場所を失いつつあるようです。
しかし今日でも「宗教の信仰は大切だ」と主張する人もいます。
歴史的にも宗教は共同体の秩序、教育、富の再分配、福祉、慈善などにおいて一定の役割を担ってきたし、多くの人を慰め、励ましてきたものだと思います。
しかし、それらは現代では宗教でなくてなならないというものでもないわけです。
釈迦の説いたダルマは別として、多くの人が真に宗教について気にしているのは、やはり神などの超自然的・霊的な存在を説いており、信仰による導きを説いていることです。
神は信者に心の平安だけでなくて物質的な恵みも与えるというのは聖書にもあります。
例えば旧約聖書では神は「戦争の神」という要素も見られます。
積極的にイスラエルの民に介入する記述が多いです。
でははたして実際に霊的な存在があり、信仰による導きといった実際的な「宗教の効果」はあるのでしょうか?
もしあるのなら今日でも宗教が復興するチャンスはありそうです。
これはなかな難しい話です。個人的な信仰体験を語る人は多いです。
しかし宗教の歴史を見ても、現代でも宗教がはびこっている国や地域を見ても、「Yes」とは言いづらいと思われます。
日本や中国よりもはるかに宗教的なインドであれ、イスラム諸国であれ、キリスト教の影響が強い国、地域であれ、「宗教がこんなにもはびこっていて、なおこの有り様なら、少なくとも日本には宗教は必要ない」と確信させる事例ばかりだと私は感じています。
どちらかというと宗教は問題を引き起こしているように感じます。
「宗教信仰による霊的な存在の導きで発展を遂げた」などという分かりやすい事例は不足しているように感じます。
なので宗教は捨てられているのだと思われます。
宗教には立脚できない
神など霊的な存在を証明できず、宗教の実際的な効果も証明できません。
なので「内なる意識」の信仰を、宗教に立脚したくはありません。
しかし霊的な存在への信仰をあえて排斥するつもりもなく、そういったものは個々人の選択・信仰によるものだと考えたいです。
「私なりの無記・中道の模索③」に続く