無記
「人生を諦める技術」という番組を知っていますか。
このシュールな番組を偶然見たら、ハマってしましました。
内容が「諦め」という斬新なものである事も相俟って。
その内容を論理的かつ面白く説明している事が興味を引きました。
この方が、諦めについて面白おかしく説明してくれます。
第一回目を見てともて興味を引いいたのが「無記」という概念、言葉です。
詳しい説明は是非、番組を見てほしいのですが
簡単に僕の理解をいうと「わからないことは考えない。」ということ。
仏教用語らしいのですが、昔から答えの出ないことについて考えていたのが人間だったんですね。
なぜ生まれたのか
なぜ生きているのか
将来はどうなるのか
死んだらどこへいくのか
などなど
頭のいい人には分かるのかもしれませんが、
僕にはさっぱり。
考えても分からないことは考えない、
これが今までできなかったんですよね。
何かしらの意味付けを与えて生きようとしていました。
納得しようとして生きようとしていました。
きっと昔の偉いお坊さんも弟子から聞かれていたんでしょうね。
まるで4歳児の子供が「なんで?」「なんで?」と聞いているがごとく
なんで生きているんですか?
なんで生まれたんですか?
なんで修行するんですか?
などんど
それに偉いお坊さんも辟易しちゃったんでしょうかね。
そこで、考えても分からないことは分からない!
という「無記」という概念を生み出したのでしょうね。
人間の不完全性への自覚だとも思います。いくら偉いお坊さんも人間、分からないことは分からない。
「関心の輪」と「影響の輪」
の話を思い出しました。
自分の関心の持てる事と影響を及ぼせる事を一致させるべきという。
芸能人の不倫ネタに興味を持っても、その芸能人の不倫を止めさせることができないのであれば意味がない、ということ。
考えても分からない事は、自分が影響が及んでいないエリア
自分ではどうすることもできないエリア
そんなことに時間を使わず、自分の分かることに時間を使おう
ということ。
では、自分の分かる事とわからないことの違いは何か
足し算のできな子にとっては、引き算、掛け算は分からない事?
昔の偉いお坊さんは、
「人生問題の解決に直接役だたない形而上学的問題」
は答えない。
としています。
うん。難しい。
僕レベルの人間は、釈迦の教えを理解しようとせず(諦める)
自分のできることや分かることをやって行こう。
この人が結婚相手として運命の人かなんて考えずに
この人を運命の人だったと振り返って思えるように行動する
こんな感じでしょうか。
なんで雨が降るんだばか!
ストア哲学
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