DJUBEE the EUREKA(瞑想家)

こんにちは、Djubee(ドュビー)NOTE へようこそ🙏 Djubeeの生みの親 天野Sagjoです 先人の智慧や自分の経験を共に生きているすべての存在と重ね合わせた想いをお届けします。 2020年よりヴィパッサナ瞑想家としてインストラクターなどしております

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最近の記事

心理学的観点で1年間韓国ドラマを見続けた件~No2~

最近、2024年3月16日に投稿したタイトルに「いいね」をしてくださった読者様がいた。 読み返してみると、この時は依存症の割には、ドラマを見続けることに理論的に正当化しようしていたようだ。確かに、良くないニュースや嫌な出来事を中和する作用があったように思えるし、どこか瞑想をした後の開き直り感が感じられることもあった。心理療法的効果が少なからずあったように思えていた時期だった。 さて、前回の投稿から半年がたって、父が亡くなった。 丁度、前出の投稿1を書いたのが3月15日あ

    • 元気がなくなると会いたくなる故人

      昨日は、高校の同級生の命日だ。 気持ちのすれ違いはあったけれど、間違いなく彼は私を大切にしてくれた。 プロポーズもしてくれた。 会いたい。 生きる気力が減衰すると、必ず彼の優しさを思い出す。 彼とはキスも肉体関係も持たなかった。唯一一度手を握っただけ。 あの日に戻りたい。 人生は選択 ふり返って、いくつも勇気が持ててず選べなかった道はあった。 彼との結婚もそうだった。 もう一度あの瞬間に戻れたら。 彼は死ななかったのではなかとさえ思ってしまう。 生きる喜びが感じ

      • 父が逝った

        9月11日といえばNY同時多発テロ。 そして父の命日にもなった。 運命論者だった父は、87才でこの世から旅だった。 全ては最初からプログラムされている、と言っていた。 しかし、生きたいと死にたいの間を行き来していた。 「人は誰も死ぬ、僕は長生きはしたくない」 彼が50代の時は、60才で一升瓶を抱えて死ぬのが理想だった。 それが、60才になり、70才になり、2012年に腎盂ガンを味わい、死の恐怖を味わった。 幸か不幸かその半年後に妻(私の母)の胃がんが見つかり、自分の腎

        • 鎌倉市の某地区で大規模開発~こんなまちづくりを考えたことがあった。

          2017年頃にランドスケープとうワードに憧れを持った時に、ウェルビーングが実現可能な「まちづくり」の一環としての空間デザインをしたことがあった。息子がまだ2~3才の時に思いついたときは、 「夕日に富士山が輝き、広大な空き地の真ん中に黒い馬が走ってる」 そのヴィジョンが降りてきたときは、身体中に電気は走るような感動があって、「鎌倉に馬が戻ってきたら、鎌倉は変わる!」と思った。 そこから10年が経ち、紆余曲折の末、公社)大日本弓馬会という団体が実際に流鏑馬の教場を作った時は

          「サイコだけど大丈夫」というKdramaをご存じだろうか?~心理学好きには萌え~

          2021年、第4次韓流ブームの火付け役と言えば、韓流ドラマの頂点に立っていた「愛の不時着」、その視聴率を3年ぶりに更新したとnewsになっている今絶賛放映中のNetflix土日オリジナルシリーズ「涙の女王」が後半になって勢いを増していっている。 なんといっても「愛の不時着」と同じ脚本家キム・ヒウォンで、入り組んだ伏線とその回収の設定がよく似ている。見事に視聴者の心をつかむビジュアルは「愛の不時着」以上にファンを増やしているのかもしれない。 13か月前、「愛の不時着」から始

          「サイコだけど大丈夫」というKdramaをご存じだろうか?~心理学好きには萌え~

          2024年3月31日 韓国ドラマ依存症

          とうとう韓国ドラマを見始め1年が過ぎ2年目に入った。 昨年、鉄板の「愛の不時着」からみてヒョンビンもので観られるものを立て続けに見て、これで終わりにしようと思った矢先に、「愛の不時着」の隣のサブネイルでずっと表示されていた「トッケビ」をクリックしてしまい、沼にハマった。 そして、アマプラとNetflixだけには飽き足らず、Unextを契約し、それでも飽き足らずDisney Plusにまで手を出した。いい加減終わりにしたいが、すでにゲーム依存症と同じ脳波パターンまでになるま

          2024年3月31日 韓国ドラマ依存症

          心理学的観点で1年間韓国ドラマを見続けた件

          第4次韓流ブームにはいってから、早3年が過ぎてしまった。 故安倍政権では、日韓関係が異常に悪かったこともあり、民放で韓国人タレントを見かけることはなかった。しかし、Netflixではコロナ禍で「愛の不時着」をはじめ、過去の作品も人気が再燃したらしい。ネットを通じてBTSは世界規模でトップアイドルになり、日本でもヨン様ブームから20年という熟年のファンも新人ファンを温かく迎えてくれた。 私自身、50年以上の歴史の中で、ここまで韓国に興味を持つようになるとは夢にも思っていなか

          心理学的観点で1年間韓国ドラマを見続けた件

          愛について語る

          アリストテレスの「ニコマコス倫理学」と鈴木大拙の「禅の思想」。 西洋には神がいて愛があるが、東洋にはたくさんの神がいて愛欲がある。 神の愛を最高善とする西洋と、愛欲を手放すことを最高善とする東洋思想がある。 言葉はとても窮屈であり、「愛」という形にすることで、意味が殆ど受け手側の経験に基づく概念に則する。 そしてその神的な領域について「解った」と答えることはタブーに感じることがある。だから、「神秘」として言葉にしない方が賢明に見える。 本当は目の前にあるし、誰もが体験し

          認知的不協和理論といじめ 相手に魅力を認知しながらいじめる自分の行為に不協和が引き起こされ、いじめるに値すると考えを変えて不協和を低減させる理論。 では、気に食わない相手をいじめる場合は、不協和は生じないはず。なぜ気に食わないか、の中に個人的な恨みや嫌悪感は不協和でない。認知

          認知的不協和理論といじめ 相手に魅力を認知しながらいじめる自分の行為に不協和が引き起こされ、いじめるに値すると考えを変えて不協和を低減させる理論。 では、気に食わない相手をいじめる場合は、不協和は生じないはず。なぜ気に食わないか、の中に個人的な恨みや嫌悪感は不協和でない。認知

          紙風船から学ぶ座禅と沖縄古武術空手

          座禅と沖縄古武術空手の理解が、紙風船で繋がったというお話を書きたいと思います。 これもまた、体感を含む、目に見えない認知を表現するため、伝わらないかもしれませんが、この体に起きた事、そしてそれをどう脳が解釈したかということを書きます。 まず、月に一度に通っている曹洞宗の和尚様、藤田一照禅師の座禅会で、紙風船で遊ぶ大人たちの光景が目に入りました。 その日は15分ほど遅刻してしまったので、何をしているのか全く見当もつきませんでした。子どもの頃、よく紙風船で遊んでいたことを思

          紙風船から学ぶ座禅と沖縄古武術空手

          「そういう星の下で生まれたのよ」

          2023年に入ってから感情が揺さぶられることが多かった。 ただ、これまでの私と違い、話を聞いくれる人がいた。 そして、言葉にしたことへ何らかの返答が来ることで、メリーゴーランドのように同じ思考にグルグルと回らずに、次のコースへ切り替えスイッチが起動したような感覚になった。 言葉にすることの大切さ、また言葉にしきれない感覚に触れること、それを無理に型にはめずに、そこに置いておくこと。 久々に短期間でこれだけの感情の嵐を覚えたことはないかもしれない。 私自身の「人生のスキー

          「そういう星の下で生まれたのよ」

          バナナの皮滑り現象とその後の「死」から学んだこと

          痛い思いをして、さらに目の前で死を経験し、さらに自らの体の中で起きている老化ともいえる細胞の変化と自らの死について考えた一か月とちょっとの間にも、一つビジョンが見えた。 以前記事にした、「79億人の私」以来のヴィジョンだったので、記しておくことにする。 看取り士になりたいと考え始めたこの一年だった。 通信大学で心理学を専攻して早2年が過ぎた。 1年目が終わった時は義理の母が長い寝たきりの生活に終わりが来た あまりにも美しい死だったので、理想を見たような気がしたが その後に

          バナナの皮滑り現象とその後の「死」から学んだこと

          精密検査って言葉が嫌い。 ただの追加検査 なんでもないと思えばなんでもないのかもしれない。 まさか肺に影って 嫌な表現だ。 他に言い方ないのかね。。

          精密検査って言葉が嫌い。 ただの追加検査 なんでもないと思えばなんでもないのかもしれない。 まさか肺に影って 嫌な表現だ。 他に言い方ないのかね。。

          不思議は続くよどこまでも~

          さて、一か月前に、「バナナの皮滑り現象」から 不思議な出来事が続き、確定申告もどうにか期日内に提出でき一安心。 痛みもだいぶ治まってきたので、そろそろ整形外科で運動オッケーをもらいに行こうと思いつつ、まだスポットで痛みが残っている。 すでに4週間近く経ってしまった。 深呼吸もできるし、クシャミも痛みが出ないが、肋骨の下部にある内臓に鈍痛が走るような気がしてきた。 内臓の動きも悪くなっているせいなのかもしれないけれど、筋肉は傷めるほど腹部にあるわけじゃない。 それでも筋

          不思議は続くよどこまでも~

          死別~「あ!」」という間の出来事のその後

          転んだあとの不思議体験は、私にとって、不思議というだけでは片付けられない出来事になってしまった。 もちろん、私の周辺にも飛んでもない体験をしている人は山ほどいるし、実際に自分の最愛の夫を脳梗塞などであっけなく亡くしてしまった友人も少なくはない。 そのような体験談の一つに過ぎないのだけれど、 「あっ!」という間があまりにも短すぎた。 そして、また人間のこの肉体というものが本当に入れ物に過ぎないのではないかと思わされるような体験だった。 しかし、そこには、生命維持機能が確実

          死別~「あ!」」という間の出来事のその後

          言霊〜バナナの皮現象は、本当に不思議な体験の前触れなのか?

          2月20日に「バナナの皮で滑る芸」のような転び方をして、肋骨にヒビが入るほどのケガをした。そして、これが三度目で、これまでの2回とも言葉では説明付かない不思議な体験をした、そして、今回も何か起きるのではないかという淡い期待。もちろん、養母の死のような虫の知らせは除いては。 2月はとにかく、人との話をする機会が多く、社会的動物である人間の営みを感じた。慌ただしくしていると、寂しくはない。そして、独りきりになれる安らぎを覚える。 一人一人に執着する暇がないと、今度は立ち位置が観

          言霊〜バナナの皮現象は、本当に不思議な体験の前触れなのか?