徳川四天王 お膝元 🏯 10万石の城下町『大多喜』巡り ❢ ブログ&動画 https://ek0901.hatenablog.com/entry/2024/07/17/063000
慶長7年(1602)2月1日は徳川四天王の井伊直政が彦根城築城の途中に佐和山城で死去した日。遠江国井伊谷の出身で家康が遠江に進出してくると小姓として取り立てられた。武田の赤備えを支えた遺臣を配属され部隊軍装を引継ぎ直政は「井伊の赤鬼」と称されるが加えて外交手腕も高く評価された。
VIVANT。乃木に近づく柚木が怪しい。当然乃木もそれは気付いているだろう。乃木は愛情に飢えてはいるが、それとこれとは話は別だ。恐らく下馬評通り柚木もどこかの諜報機関に所属してるのかもしれない。それにしても黒須のポンコツ社員ぶりは笑ってしまった。ちょっと怖いけどね・。
永禄4年(1561)2月19日は徳川四天王の一人・井伊直政が遠江国井伊谷近くの祝田で生まれた日。父直親の養父で当主直盛が前年桶狭間で戦死。永禄5年父が謀反嫌疑で今川氏真に謀殺。井伊氏は衰退したが直政が家康に見出され出世していく。誰との出会いで事態が好転するかわからないものですね。
慶長7年(1602)2月1日は徳川四天王の井伊直政が彦根城築城途中に佐和山城で死去した日。武田の赤備えを支えた遺臣配属で部隊軍装を引継ぎ直政は「井伊の赤鬼」と称された。武田に大敗した家康としては赤備えは嫌な記憶では。逆に井伊の赤備えで敵に同じ思いをさせられると考えたのでしょうか。
天文17年(1548)2月8日は徳川四天王の一人・本多忠勝が生まれた日。生涯57回の戦でかすり傷一つ負わず、「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と歌われ、花実兼備、天下無双など信長や秀吉からも認められたという。こんな上司のもとにいる部下はどう思っていたんでしょうね。
何故日本が成長しないのか、について書かれた記事があったので一筆。先ず成長しないの定義は何なのか?定量的に前年度比GDP何パーセント下がってるのかとか、歳入が年々どの程度下がっているのかとか。そしてキリスト教が広がらなかったのは上層部が相手国による侵略の前段階と見破ったからだ。
歴史上の英雄は一つ一つの事に全力で取り組んだ逸話がある。一生懸命勉強し、一生懸命働き、そしてその過程に知恵を振り絞り頭を使ったという。僕等は英雄に偉業を称えるが、その裏の英雄の努力は陰ながら知られる。
常識を疑えという文句の偽善っぷりが目に余る。先ずは常識に従える人にこそ、道が用意されている。それくらい常識は錦の御旗である事を善良な教育者は説く。そして、先ず型となる常識がなっていないと、結局疑うだけの脳内革命者に陥る。大きな事を唱えるには、まず既存の体系に従える良心が必要だよ。
変な時間に起きたので、一筆。好きな文豪である夏目漱石について最近調べてる。教え子に叱責するなど、心の病を抱えながらも懸命に人生を生き抜いた彼の作品は余裕派と呼ぶに相応しい達観した人生観が窺える。吾輩は猫であるは勿論、坊ちゃんなど痛快な作品もあり、もう一度作品集買おうかしら。
永禄4年(1561)2月19日は徳川四天王の一人・井伊直政が遠江国井伊谷近くの祝田で生まれた日。父直親の養父で当主直盛が前年の桶狭間の戦いで戦死し翌年には直親が謀反の嫌疑で今川氏真に謀殺される。井伊氏は衰退したが直盛の娘次郎法師(直虎)に育てられた直政は家康のもとで頭角を現す。
天文17年(1548)2月8日は家康の家臣で徳川四天王の一人である本多忠勝が生まれた日。名槍「蜻蛉切」を手に生涯57度の戦でかすり傷一つ負わず、敵の武田軍からは「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と評され、花実兼備、天下無双など信長や秀吉からも認められたといわれる。
一昔前だと学のあるないと乱暴に分けたりする事があったけど、昨今はどこに知識の溜池があるか判らないから、そう簡単に人の知的水準を切ってわけるような事が躊躇われるようになった気がする。元来ひと様の知恵のあるなしを学校の紙切れで判断するのが、上段構え過ぎるよ。学術とは単純じゃないのでは
高校の頃、大学留年する奴の気が知れないわっ!と啖呵を切って堂々と2回目の4年生をするそこの坊や、それが現実だよ?と、全米が泣くようなメッセジを贈ろう。大卒なんて誰もが期待するが、実際こんなのあってないようなもんじゃきのう!